仕事ときどき女の子

Web系無職が外界の眩しさに憧れるブログ

他人に嫌われる勇気はそう簡単に持てない

仕事もプライベートも、

私の思いとは裏腹に、思ってもない解釈をされ、身近な人に拡散されていくんだなと感じる。

 

リーダーになって、上からも下からもいろんな情報が嫌でも入ってくる。

あの人があーだとか、この人がどーだとか、もっとこうしたほうがいいああしたほうがいい、とか。

本当にどうでもいい話だ。

でも、自分もこうやって話のネタにされてるんだろうなと思うともっと恐ろしい。

正しいかもわからないことを一気に拡散されて、その場で反論できるわけでもない。

自分の知らないところで、ちょっとずつ誰かとの関係がずれていく。やりにくさを感じていく。

 

彼氏との恋愛も冷め切っていて恋愛感情を他の人からもらっている、という話を友達数人にしたら、

とことん批判され、鋭い質問を投げられ、まるで記者会見のようだった。

彼女達にとって、自分の常識から離れた事象はエンターテイメントであり、

暇つぶしと、他の誰かと盛り上がるためのネタだ。

「芸能人」が「友達」になっただけで、ただのワイドショーの話と同じ。

それ以外のなんでもない。

 

映画「ヘルタースケルター」の中で、こんなセリフがある。

「みんなすぐ忘れる。私たちはどうせただの欲望処理装置。かわいい。すごい。ああなりたい。無責任な欲望だけがあって、名前と顔だけがただすり替わっていく。」

 

子供の頃は、大人になれば他人の目を気にして生きていくこともなくなると信じていたけど、

たいしてそんなことなかったのかもしれないって思った。

私の母親は過保護で、友達と遊ばせず自分のそばに子供を常においておくタイプの人で、

彼女に怒られるのがこわくて常にいい子でいることを求められて、答えてきたつもりだ。

学校でも常に上位の成績をキープしていた。先生には手のかからない子と言われ続けた。

そんな当時の「親からの期待」「先生からの期待」「友達からの期待」は、

「上司からの期待」「部下からの期待」「恋人からの期待」にすり替わっていっただだけだ。

 

でも、それでも、誰かの期待に答えないわけにはいかない。

愛想つかされる感覚は歳を重ねてもこわい感覚だと思ってる。

私じゃなくてもいい、他人でもいい。

仕事でも恋愛でも、誰かに必要とされていないのなら、死んだも同然なんじゃないか。

 

 

しょうがないと割り切れたらいいのだけど。

相手も大事。自分も大事。建前も大事。本音も大事。

人間は拒絶されることにそう簡単に慣れない。

 

つらい選択を迫らなきゃいけない人がいるけど、

やっぱり出来そうにない。その後のことを考えると、つらい。

好きな人でお世話になった人なら頑張れるでしょ?って言うけど、

そんな大事な人だからこそ、なおさらつらい思いをさせるのはつらい。

いいことも悪いことも。大好きだから臆病になる。

 

思いは引きずる。ずるずる。