仕事ときどき女の子

仕事も女の子もがんばらなくなりましたが、豊かに生きてます。

期待の若手リーダーが双極性障害と社交不安障害と診断されるまで

リーダーになって来月で一年になる。

一年前の自分は、今の自分を想像だにしていなかっただろうし、むしろそんな自分を許しておくはずはないと思う。それくらい当時の自分はあまりにもいろんな期待を背負ってたし、逆に今の自分は落ち着きすぎているぐらい。

リーダーになるまで(~去年10月)

ちょうど一年前にリリースした大きなプロジェクトのリーダーに抜擢されたことがきっかけ。能力が特にあったわけじゃなくて、本当にいきなり。5ヶ月で1からWebサービスを作って、外注とのやりとりとか、デザインの指示出しとか、とにかく全部ほぼ1人でまとめてた。

で、そんなこんな毎日なときに、上司からまたいきなり、セクションのリーダーやらないか?と言われ、断る理由もないし、お給料がめちゃくちゃあがるし、なんかかっこいいし、部署で最年少かつ入社の最も若いわたしがセクション長をやることになった。

おまけに、社内のMVP社員に選ばれて、総会ではリーダーに昇格したことと合わせて2回も壇上で話をすることになって、もう話すことなんてないんですけど、と言ったのは覚えてる。壇上の上では、前職で上司から最も使えない部下と言われたこともある自分がMVPを取るとは感慨深いなあということを話した。

想像以上にきつい仕事なのに、そんなことひとつも想像してなかったとき。

案件とリーダー業務に追われる日々(~今年3月くらい)

リーダーになってから、案件のプロジェクトリーダーとしての仕事もそうだし、リーダーとしての仕事も両立しなくてはいけなくて、てんやわんやだった。

器用ではないから、プロジェクトリーダーの仕事でいっぱいいっぱいで、リーダーらしいことはなにも出来ていなかった。とはいえ、セクションの人たちはいい大人だし、何も言わずとも仕事をやってくれてた。でも、セクションだけを見ていればいいわけではなくて、部署のもうひとつのセクションはリーダー不在だったから、実質部署のリーダー的な立ち位置だった。勤務態度が悪い人たちもいるけど、年上に言い難かったりで、見て見ぬふりをしてた。でもそういう自分にいらだって、リーダーらしいこと何もしてないなって思ってたし、むしろリーダーってどんなことすべきなのか、全然わからないし上司が教えてくれるわけでもないから、ただただ悶々としてた。

立場があがると、上からも下からもとやかく言われるもので、部署間のしがらみに飲み込まれる毎日にうんざりしつつあった。特に案件の調整は部署間のいろんな諸事情をまとめあげなきゃいけなくて、あっちで言うことを飲んだらこっちで怒られる、みたいなことばっかりだった。どっちの顔色もうかがって、でもどっちにも嫌われたくなくてこわくて、毎日夢でもそういう人たちに怒られてた。

案件を回してるうちに、最初のころのように楽しめなくなったし嫌なことのほうが上回ってきてた。たまたまだけど徐々に案件に効果が見込めなくて、リリースしても全然数値として現れないことも多々あって、毎日毎日いろんな部署に頭下げてリリースして、効果なくて、何を糧に仕事をすれば自分が納得するんだろうって思ってた。仕様を詰めたり、デザインを考えたり、そういうことが好きでこの仕事をしてて、上にあがっていけば自分の好きなモノが世の中に出せるようになるんだって信じてたのに、そうでもないんだなって、しょんぼりすることが多くなってた。

自分を見失って双極性障害と社交不安障害という病名をもらう(~今年5月くらい)

そうやって毎日すごしていて、春くらいにも、会社の目玉になるような機能の案件が降ってきた。社長も、これは業界でも画期的だ!ってモチベーションあげてこーぜって雰囲気だしていて、もちろんそれには賛同していたけど、それ以上にガクッとテンション下がる瞬間の方が多くなってた。

あと、上司からプロジェクトにあと2人投下することと定例MTGをやることを言われた。切羽詰まり過ぎてたのか、自分が無能だからなのかと思い込んで、すごい落ち込んだ。上司は全然違うよって言ってたけど、当時の自分は何も信じられなくて、ただ仕事を奪われないようにすることと、定例MTGを完璧に仕切ることに必死だった。

もうすでにモチベーションもなにもない状態だし、何かと怒られたりすることも多くて、毎日20時には帰れているのに、毎日終電で帰ってた去年と比較にならないくらいにぐったり疲れて帰宅する毎日。この頃から寝付きもよくなくて、2時間ごとに起きちゃって、体が休まらなかった。

ある日、たまたま怒られることが重なった日の次の日、朝完全に体が動かなくなった。夕方まで起きれなかった。次の日も無理やり会社に行って、ああ壊れたなついにと思った。

少し仕事のこと忘れてリフレッシュすればよくなるだろうと思って数日休ませてもらって、出社しようと思ったけど、朝起きて恐ろしいくらいに不安に陥って布団に包まってずっと泣いてた。もう会社に行けません、と上司にLINEして、電話で泣くことしかできなかった。とにかく泣くか寝てるかしか出来ない日々の始まり。

だるくてもう何もしたくないのだけど、心療内科まで這いつくばって行って、双極性障害Ⅱ型、つまり躁うつ病の病名をもらって、違う病院で(いま通ってるとこ)社交不安障害という病名をもらった。

病名を聞いたときは、よくわからない安心感とこれからちゃんと働けるのかの不安感と入り混じってフクザツだった。病名がついたことには、「しょうがない」ことが許される感じを含んでいるからなのかと自分では解釈してる。ちゃんと治していかなきゃいけないんだけどね。逆にちゃんと治らなきゃいつまでも苦しみ続ける可能性もあるから、今は調子いいけど、一寸先は闇だし。

病名を上司に報告して、あるだけの有給を全てつかって一ヶ月半休んだ。その間、本当に仕事は遠ざかった。ああわたしがいなくても仕事は回るんだなって、当たり前だけど、いてもいなくてもいいんだなと実感した。その状況がいいとも思ったし、悔しいとも思った。仕事にはなんとしても復帰しようと、その時は躍起になる瞬間の方が多かったけど、でもそれは辞めたほうがいいのかなとも思ってて、フクザツ。

復帰(~現在)

7月から通常通り会社に行き始め、9月からは自宅勤務半分ってかんじで仕事してる。

最初はちゃんと行ってたけど、ちゃんと行くってことは、今まで通りの仕事をしなきゃいけないってことで、病み上がりで急に激務に放り込まれて仕事出来るわけもないんだけど、周りは病名を知らないし普通に仕事出来ると思ってるからそれを求めた。だからまた気持ちも体調もグラっときて、上司のとのいろんなやりとりもあって、今の勤務形態に落ち着いた。

仕事内容は、前からやってるプロジェクトのサポート。案件進めてると、仕様詰めたり部署の調整でいっぱいいっぱいになるから、案件進めるためのフローを整えたり、ドキュメントの精査したりに徹してる。あとは新人教育。デザイナー志望なんだけど、仕事の仕方的なところは面倒見てる。この話は別途したいな。

少し薬の話も書こうかな。他に飲んでる薬もあって、抗てんかん薬(躁鬱にも使われるというやつ)と抗不安薬を飲んでで、抗不安薬飲み始めてから調子がよくなってることが実感できるようになった。(でも太るんだな。吐き気するのと太るのどっちがいや?ってお医者さんに言われて、嘔吐恐怖症としては吐き気をする方は絶対ないからって今の薬にしたけど、食欲止まらなくて困ってる。)

総括・下半期が始まるけど

病名を言い渡される前後は、毎日泣くか寝るしかやることがなくて死にたくてベッドの横にある電気コードを見ても手を伸ばすのすらめんどくさくて、もう何もかもおしまいだと本気で思ってた。せっかくリーダーになれたのに。功績を認めらたのに。仕事に戻ってからも、奪われた仕事を取り返すぞってしばらくは無茶をしてたし。

でもまあ先のことはわからないけど。どうにかなるでしょう。そう思えるようになったのも、いい環境が今ここにあるからなんだよね。戻れたら戻るけど、自分を壊してまでやる仕事ではないって、心からそう思う。執着は仕事の糧にはならないと思う。

当時あんなにいやだと思ってた会社のひとたちに救われた瞬間が多々あった。特に上司や人事のひとたちは、自宅勤務をさせてくれたり、仕事も快く調整してくれたり。感謝です。

こうして激務の輪の外に出て、リーダーとして何をすべきかも、自然と見えてきてる。プロジェクトのことはメンバーに任せて、わたしはリーダーとしてやらねばならぬことをひとつずつやっていこうかと思ってる。

リーダーをやりはじめ一年目はこんなかんじでした。次の一年はもうちょっと頼りになれる人になってたいなあ。