仕事ときどき女の子

仕事も女の子もがんばらなくなりましたが、豊かに生きてます。

明日誰かが死なずに生きていける場所

utatanenikki.hatenablog.com

読みました。

前回の記事で↓のようなことを書いていて、この辺のことをもっと文章にしたくなったので書きます。

当時わたしが学校から逃げ出してきたように、明日誰かが死なずに生きていける場所を、今度はわたしが作るんだって、そう決心したんだった。

ninatanpepe.hateblo.jp

わたしの育った場所は校内暴力とかいじめとかひどくて、毎日ろくに授業ができなかった。小学校では毎日いじめの聴取から1日が始まって授業は自習ばっかりで、中学校では毎日ヤンキーが廊下をバイクで走ってて殺人事件も起きたり。教師もセクハラパワハラ発言は当たり前。

だから学校にはうんざりしてた。どいつもこいつもバカばっかり。本気でそう思った。いじめられてからは、何度も死んでしまおうかと思った。家と学校の往復だけの毎日。家でも母親の機嫌ばっかりうかがって、父親は仕事で家にいなくて。居心地のいい場所なんてどこにもなかった。

でも、その頃うちにインターネットが開通して、パソコンを通していろんな人と交流するようになった。ポストペットでやりとりしたり、チャットをしたり、同年代の子たち(だと信じてる)と楽しいやりとりを毎日してて、心の拠り所が出来たって思って嬉しかった。

学校もテキトーにやりすごして、家でも引きこもってインターネットしてればいいんだって思えたら心が楽になった。

 

そこから、高校、大学、社会人となって、年を取るごとにだいぶ人生も自由に舵を取れるようになってきた。いいことばっかりじゃないけど、子供の頃感じたほどの閉塞感にはまだ出会ってないかな。

子供の頃は閉ざされた空間で、敷かれたレールが一本しかないからそこを進んでいくしかないんだって気持ちになってつらいんだと思う。でもそのレールが気に入らなかったらそれでいいし、違うものに変えられるなら変えてみてもいいし、途中で止まってみてもいいんじゃないかな。大人になって、当時の大人の敷いたレールはあまりあてにならないことがわかったよ。

 

 

それでも、ときどき消えてなくなりたいと思うことがある。考えた分だけ、Tumblrに記録して、また死にたくなったら見直してる。

 

大人になって、インターネットの世界にむかしわたしを救ってくれたような居場所を作る仕事をしてる。毎日すごい人数の利用者がいて、画面の向こう側にいる人達が使いやすいとか、よかったとか、楽しいとか、そう思えるように日々頑張ってた。今は少し仕事から距離を置いてるけど、今こうやって文章を書いてたら、なんか気持ちを取り戻せそうな気がしてきた。

 

大人たちは古傷を背負いながら、せっせとこの世界をよくしようとしてて、誰かの世界が1mmでも変われるなら、と願ってるよ。