仕事ときどき女の子

仕事も女の子もがんばらなくなりましたが、豊かに生きてます。

親友に救われた話

2016年も引き続き休職することにした。体調はだいぶいい。でも仕事をこなせる自信もないし、とにかく仕事に対する意欲は回復していない。回復するかどうかもよくわからなくてまた更に自信をなくしていく。

年末年始は実家に帰った。家族には病気のことを話していない。だから仕事してるていで近況報告をしなきゃいけない状態になってつらかった。素直に話しても、きっと楽にはならないから現状維持をしているだけだ。昔から心配されるのが苦痛だった。心配されるということは、自分自身がしっかりしてないということの表れだと思ってた。それが大人になっても抜けきれないままでいる。

 

いつも実家に帰ると、親友の美容院に行く。平日休みで休みがあわなくて滅多に遊べないから、こうしてお店に遊びにいって世間話をする。

いまの自分の状況を話してたらすごい泣けてきてちょっとうるうるしながら話をした。親友はそれに気づいてくれたのか、元旦の夜にご飯行こうと誘ってくれた。たったそれだけの、たわいもないことなのに、なんだかすごく嬉しかった。

高校生の頃、鬱のほうがひどくなったときケータイを切って誰とも連絡を取れない状態にしたことがあった。何もかも手に付かないくらい気分が落ちに落ちまくってたときだった。そんなとき、家の電話に親友から電話があった。ケータイにかけても出ないから家にかけた。心配したよって言ってくれた。そのとき、不思議と自分の中の憂鬱な気持ちが吹っ飛んだ。このときの感覚は本当に忘れられない。一瞬で視界が開けたからだ。それから今まで、一回も鬱状態にはならなかった。

 

昔よく行ったファミレスで、梅酒を飲みながら大量の料理を注文してワイワイ話をした。誰にも言えなかったことを素直に話をして、うんうんとただうなずいてくれた。わたしも親友も、説教はしない。否定も肯定もしない。意見を言うことはあっても、押し付けることは絶対にしない。親友も恋愛のことから仕事のことまで悩みは尽きなくて、どれもわかるーわかるーっていう話ばっかりだった。同い年だし、性格は似てるわけじゃないけど人付き合いの仕方は似ていて、純粋に共感する。ただそれだけで救われる。

ときどき忘れそうになる人のあたたかさを思い出した1日でした。