仕事ときどき女の子

仕事も女の子もがんばらなくなりましたが、豊かに生きてます。

心の安定は人生の不安定、か。

大人になってからかつてないほどの落ち着きの中で生きている。
振り返ると、わたしは常に攻めて生きてきた。卒論で最優秀賞をもらい、行きたい企業の内定を勝ち取り、やりたいプロジェクトに入った。転職して好きなECサイトの子会社に入って、MVPと昇進を勝ち取った。派遣でも、大企業の中で仕事をしていた。

なんやかんやいって、やりたいことをやれた人生だった。多分その中には、諦めたことを認めた上でやりたいことやれてると言ってる部分もあるけれど、基本的には願望は叶えてきたつもりだ。挫折のない人生だ、なんて時々思ったりもした。別に楽して勝ち取ったものとは思わない。それなりに努力をした。その努力に苦痛は伴わなかったし、楽しいと思ったことをやってたら自分のものになっていた。これからも欲しいものは手に入れながら生きていくんだろうなと、どこかで高をくくっていた。

人生の安定と心の安定は反比例する。好きなことをするには、やりたくないことにも全力で立ち向かわないといけない。人との関わりが苦手だけど会社の中で人間関係にかなり気を遣ったり、理不尽なことにもたくさん関わった。会社で仕事するんだったら普通のことかもしれないけど、社交不安障害にとっては、結構しんどいこと。双極性障害の観点でも常に自分の意思と反して、頭も心もぐちゃぐちゃになりそうな瞬間もたくさんあったし、実際ぐちゃぐちゃになっていろいろ壊れた。

その結果、心の安定を優先させることになった。わたしもそうしたほうがいいと思った。あまり深く考える余地もなく、薬をとっかえひっかえして、心の安定を保てるボーダーラインを探って、1年かけてやっと安定した。

結果、わたしはいまだかつて無いほど、落ち着いている。日々の起伏はあるけれど、世界がずっと悲しかったり、ずっとうまくいってるわけもなくなった。春に訪れる躁の衝動も今のところ起きてない。わたしの脳みそは、気分安定剤抗うつ剤によって、心に真っ直ぐな線を描き続けている。

人生がうまくいってるとき、心は起伏があって不安定だ。わたしの人生はこういうルールがあった。でもこれからは、心に起伏があってはいけないというルールに置き換わった。そういう事態になったら、改善しなくてはいけない。躁状態のあとには必ず反動で鬱になるから。

じゃあこれからは、どうやって人生楽しく生きていけばいいんだろうか。こういうこと考えたってしょうもないことはわかっているけど、毎日が落ち着いている中で何かに攻めていったところで、どこかで頑張れないポイントが出ると思う。そんなことを気にして人生をこれから送るとしたら、なんて張り合いのない人生なんだろうと考えてしまう。

心が安定すると、人生は不安定になる。最近はそう思う。人生の安定とは、もっと張り合いがあって、起伏がありながらも納得して生きていくことだ。変わり映えがなくて、常に何かのせいにして、納得のいかない人生なんて、その方がよっぽど不安定なものだ。挑戦することも出来なくて、やりたいことをやりたいとも言えない人生を送るために、心を穏やかにしたんじゃない、やりたいことを充実してやれるために、心を穏やかにしたんだ。それを早く証明したいと思う。

最近、周りの友達たちが結婚したり子供出来たりしてるのに、わたしは仕事もろくしてないし独身だしで、比べても仕方ないのに勝手につらくなる。あのとき結婚してたら、会社辞めてなければ…考えても答えは「今が最善」ということ以外にないんだけどなあ。地元に帰ってきて近所の人に結婚するだの勘違いされたり、父親に子供の顔がみたいって言われるし(節操ないよねこのおじさん)、そういうこと言われるとデリケートになる…。てかこの現象なんなんだろう。本当に無意味なんだけど!

 

ぼくは愛を証明しようと思う。

ぼくは愛を証明しようと思う。