仕事ときどき女の子

仕事も女の子もがんばらなくなりましたが、豊かに生きてます。

時々、双極性障害と言われた日のことを思い出す。

もうだいぶ昔のことのように感じる。私はまだ26歳で、東京で、ある大手アパレルEC企業の主力サービスのWebディレクターをしていた。

 

ここまで書いて、既に別人のことを話しているように感じる。私はこのときを境に、生活や生き方が変わってしまった。いや、変えざるを得なかった。変わらなければ死ぬしかなかった。当時死ぬという選択肢もあったが、やっぱりそれを選択するまでに至れず、今こうして生きている。

 

26歳から29歳までのこと。

仕事という見えない敵にがんじがらめにされて、いつの間にか自分が抜け殻になっていった。朝が来ると泣いて、夜が来ると明日が怖くて震えた。這いつくばって医者に行くと、双極性障害という診断をもらった。ついでに社交不安障害という診断までついてきた。

休職を経て退職、その後つなぎで始めた派遣の仕事で上長に嫌われ仕事を干され、挙げ句朝のラッシュでパニック障害を発動。もともと自覚のあった嘔吐恐怖症もこじらせ、とうとう東京で暮らすことすら不可能になり実家に戻った。

実家で療養も兼ねてリモートワークで仕事を始めた。ある会社に就職し一人暮らしを千葉でまた始められた。仕事は社長と二人三脚でうまくやっていたつもりがほぼクビを切られる形で退職。

 

 

この数年で学んだのは、仕事は楽しいものじゃないということ。もちろん、Webサービスのことをあれやこれやを考えるのは好きだが、それに付随する人間関係がひどく億劫だ。そのせいで仕事は楽しくない。

私は人並みに人とうまくやっていけない。そうハッキリと気づいた。極力人と関わらない生き方をしないと、自分が自分でなくなってしまう。子供の頃からだましだましやっていたことがとうとう避けられなくなってしまった、ただそれだけのことだった。

「仕事で得た素晴らしい経験や人脈」「仕事を通じた自己実現」などというきらびやかな言葉を打ち砕くように嫌な人や出来事にたくさん触れて、ようやく気づいた。仕事に打ち込んではいけない、と。

これは一見とてもネガティブで救いようのない気づきのようだけど、その気づきが今の私の平穏な暮らしを導いてくれたのだ。世の中、ネガティブな出来事が人を救うことだってあるのだ。ドラマのようにわかりやすくて筋の通った結論というわけにもいかない。

 

そして今の私は30歳。会社に属さずWebディレクターをしている。リモートワークで、ほぼ誰にも会わずに平日を過ごしている。朝のラッシュにも乗らない、好きな時間に好きな場所で仕事をし、女ひとりが難なく暮らせるほどの報酬をいただき生活している。

一応病院に通院していて、薬もほぼ26歳のときと同量もらっているけど、飲み忘れがひどくてあんまり飲めていない。血液検査でも医者にバレるレベルで薬の成分の血中濃度が薄い。でも、私自身とても心身ともに健康でいる。通院やめようかと思うくらい落ち込むこともないし、ハイになることもない。

 

時々こうしてあのときのことを思い出す度に、26歳のとき読み漁った同じような境遇の方が書いたブログを読む。今も苦しんでいる方も大勢いる。でも、苦しいながらも頑張って会社に行って、がんばって人と接している姿を見ていると、本当に心から強い人だなと思う。心の病は人間としての強さ・弱さと比例するものではない。人間として強いからブログを書けるし、また社会に立ち向かっていける。それは素晴らしいことだと思う。

社会という枠組みに押し込んだときに欠けたりはみ出したりしちゃっただけのことであって、別に社会の中に押し込まなければ症状として出てこなかったかもしれない。ただそれだけのことなのに、苦痛を強いられる世界はとてもつらい。どうかそういう強い人達が救われる世界がどこかにあって、無事たどり着いて欲しい。と切に願う。

 

 私は私よ、特別じゃない。どこにもいるわ。

少女A

少女A