仕事ときどき女の子

仕事も女の子もがんばらなくなりましたが、豊かに生きてます。

子供でいられなかった私へ

自営業になって1年ちょっと。大して稼働せずとも余裕のある収入を得られるほどに、それなりに、稼げている。まじで大人。

 

春からカウンセリングを定期的に受け続けていて、自分の置かれていた状況(うつや休職やパニックなどなど多数のラインナップ)の根本理由に迫る作業を重ねているが、総じて私には子供時代が皆無だった、というところがついてまわる。

人生最初の記憶からして、母親が私のわがままにキレて出ていくという思い出から始まる。そんな人生だ。お母さんはどんな人?とのカウンセラーからの問いに、「こわい」「話が通じない」としか言葉が出てこず、まったくスラスラと話せなかった。本来あなたは知識欲のある子供だったはずなのに話の出来ない母親と一心同体を求められていたのだからおかしくなって当然で何もあなたは悪くない、と言われて初めて得られた安心感といったらない。

子供の時の記憶を掘り返しても、自分が無理を重ねているとか、あのとき本当はこうしたかったとか、善意が裏切られたとか、そんなものしかカウンセラーに話すことがない。子供って「どうして?」を聞いたり嫌なことは嫌と言えるのが普通なんだけど、それすら許されてこなかったんだね、と。私にとっては我慢が普通だから、子供が素直に感情を爆発させているところを見ると、特に妹が出来てそれを身近に見ていると不思議だった。母親も、不思議そうに妹と対峙しながら毎日イライラしていた。妹が出来るまでは呪詛のように「一人っ子はわがまま」と言われてきたし、妹が出来てからはいいお姉さんでいなければわがままの烙印を押されてしまうと怯えていた。

 

肉体は子供なのに精神を子供でいさせてくれなかった環境に、虚無感を感じる。ずっと大人を演じてきて、肉体も大人になったけれど、大人は演じてきたものだから中身はずっと子供なのかもしれない。3歳から成長を止められて、でも大人の役を演じてきた。しかも、それは父親の代役とか、お姉さんとしての役とか、まともに話の通じない母親をなだめながら家族の安泰を支える重役を背負ってきた。今なら馬鹿らしいとわかる。でも、子供の私にとっては生きるか死ぬかのサバイバルだ。他の世界を知らないし遮断されてきたのだから「やる」以外の選択肢なんかなかった。

 

家から出るときの広場恐怖の緊張感にしても、嘔吐恐怖にしても、原体験は子供の時の抑圧された環境にある。神経を使いながら仕事にも支障が出そうになる恐怖を抱えながら、これらと戦っている。

本当にクソ。全部を恨みたくなる。でも、もう私は私を嫌いになりたくないし自分が敵になってしまったら、味方はいなくなるし生きていけない。母親は無意識に私を恨んでいたんだろう。でなければ、こんな悲惨なことにはなってない。情緒的ネグレクトであろう。肉体に刻まれないから誰にもわからないが、情緒は傷だらけだった。自分も知らないところで、だ。どうしようもなく救われない物語すぎないか。

今からでも、子供時代をやり直すしかない。もっと堕落的に、もっと自分にために金を使って、ダメな自分を受け入れ、植え付けられたルールから解放し、自分を愛してあげよう。誰かにもらう愛ではなく、自分が自分に愛を与えていこう。今の人生の課題は、自分を慈しむことだ。

 

中二病化しているからヘルシング観てる。