仕事ときどき女の子

仕事も女の子もがんばらなくなりましたが、豊かに生きてます。

心の隙間

わかりやすいレッテルが貼られてないだけでヤバい人っていうのが身近にいるんだなと感じてて。

自分の人生を無意識に人のせいにしてるんだよな。嫌なら近づかなきゃいい、とはならずに人を責める。というかもう、責めずにはいられない、という言葉の方が近い。自分にとって都合の悪いことがあれば感情をぶつける。泣けば許してくれる、怒れば従ってくれる、みたいに思ってる。子供と同じ思考回路で動いていることに当の本人はもちろん気づいていない。それに、正義の仮面を被って無意識でやってるからやっかい極まりない。

ただそういう人を惹きつける自分という存在も考えものだ。カモにならないとわかれば寄ってこないわけだけど、優しかったり共感能力が高い人には寄ってきてしまう。 ヤバい人に歩み寄られるのは、良くも悪くも相応の理由がある。みんなに優しいの裏側には、みんなに嫌われたくない自分が傷つきたくないという言葉が隠れていたりする。そういう心の隙間にヤバい人はつけ込んでくる。

ただね、ヤバい人になるもならないも、その一線はとても細くて薄い線で区切ってあるだけだとも思ってて。

私はね、自分だけはああならないって胸張って言えないよ。冷静でなくなったとき、根っこにある満たされない気持ちが爆発したら簡単に向こう側に行ってしまうと思う。というか、行っていた時期もある。だからさ、ヤバい人が友達や私に干渉してきたときは本当に許せないし腹ただしいんだけど、心のどこかで責めきれなくてやりきれない。

心の隙間を埋めるのは、目の前の責め立てたいほど嫌いな人でもなく、喪黒福造でもなく、自分しかいないんだって、常にこの言葉を携えておきたい。

笑ゥせぇるすまん (1) (中公文庫―コミック版)

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安心できる場所を求めて

生きてる。なんとか生きてる。仕事のない時期を過ごしていたけど今はそこそこある。断ることもあるくらい急に舞い込んできた。様々なご縁は、意識してコントロール出来るものではないなと痛感する。いいときはいいし、悪いときは悪いのだ。それ以外何者でもない。

両親とのことは葛藤もありつつもう諦めている。関わらない生き方をして、のらりくらりとかわしていくしかない。ただそれだけしか自分の人生を生きる方法がない。前の記事から何度もカウンセリングを受けて、両親を責めたい気持ちと自分の無力さにケリをつけてきた。未来は自分が作っていくしかないし、他人を変えることは出来ないし、いかに自分を守っていくかを考えなければいけないし、残念ながら真っ当に生きていくには家族は攻撃を与えるものとして認識しなければ私が私じゃなくなる。

今後付き合っていくべき人はもう見誤ることはないだろうと少しの自信がついているが、いざ目の前に人が現れたときにはまた自信がなくなるだろう。

少しだけ気になる人がいる。滅多に会えないしアプローチできるほどの勇気もなく臆病になり、ただまた会えないだろうかと願うだけだ。

時々ひとりがたまらなくさみしくなったり、ひとりが楽すぎてずっとこうしてたいと思うときもある。

よく前の前の元カレが夢に出てきて、仲良く一緒に暮らしている。家族からもらえなかった安心感を求めているんじゃないかと感じる。心から安心できる場所が欲しい。だから傷つかないためにひとりでいたいのかもしれないし、誰かを欲してしまうのかもしれない。そう気付いてから、そんな弱い自分を受け入れなければならないなとも思う。

子供の頃の私が泣いている。救ってあげなきゃな。

大人になってもコントロールマザーの束縛と戦うのか

元カレのことは思い出すけれど、もう顔すらボヤけ輪郭が薄れている。

 

今の一大事は、元カレとの別れをトリガーにして、子供の頃の家庭環境の悪さと向き合うことになったことだ。過去の様々な失敗や自分への嫌悪感はすべて、子供の頃の親との関係のうまくいってなさに紐づく。

元カレとの関係を振り返る度、母親と同じことをしていたなという結論にたどり着く。何度も認めたくないと思った。自分の選んだ人が母親と同じことをしてきたと。でも、どこをどう切り取っても事実は変えられなかった。私にとってはそれがどれだけひどい結末だったか。もう1人で抱え込むのも無理だと思って、オンラインカウンセリングに頼ることにした。

話せば話すほど、元カレは母親と同じで、機嫌で支配し、気に入らないからとひどいことを言ったり強い口調で責めたり自由であるべき気持ちを押さえつけていた。そして私から元カレへの身の振り方が子供の頃と同じと気付き、おぞましく思った。解説されてやっと理解する。ただ、理解したからといって受け入れられるかというと別問題だった。自分への気持ち悪さとふがいなさと、母親への憎しみ、父親への憎しみで溢れる。今は、受け入れることを少しずつやっていく時期なんだろう。

ずっと蓋をしていた気持ちを引きずり出して目の前に並べる。とても醜い。認められない。そういう状態が今だ。

 

少しだけ自分の育ってきた環境の話をする。

  • 母親はコントロールマザーだった
  • 自分の機嫌次第で溺愛し過干渉し人格否定するような行動を取る人
  • 父親は子育てに口出しをしない人

母親は自分の価値観を押し付け、自分の好き嫌いを私に叩き込み、それにそぐわない行動をすると不機嫌によって支配する。そういう日常の中で育った私は、常にいい子で人の機嫌を伺い判断軸を母に乗っ取られた。家でも学校でも神経を尖らせていないと不安だった。もちろん当時はそれが普通だと思っていた。

父親は外で稼ぎ知的で母親は家事も育児もきっちりこなし長女はいい子で反抗期もなく次女は無邪気で、幸せな家庭だと思われていただろう。大人は誰一人として私の不安感に気づくこともなかった。

この問題は子供の期間が終わっても消滅することなく、大人になって抵抗し続けた私に対してもまだ常につきまとっている。

 

「毒になる親」という本がものすごく気づきが多く、泣きながら読んでいる。カウンセリングのときに言われた言葉でもあり、すごく心が救われた。大きい気付きはこの2つだった。

  • 子供の頃は判断出来なくて当然で、そのとき感じていた罪悪感に対して責任を負う必要はない

母親の機嫌が悪いのは私のせいだ、と子供の頃は常に罪悪感と戦ってきた。私がいい子にしていれば家庭は円満だし、妹に負の感情がぶつかることもない、と本気で思ってた。それをカウンセラーの先生に話たら、「お母さんの感情はお母さんのもので、あなたに責任は一切ない。子供のあなたの心は自由である権利があったはずなのにだ。自分の感情を処理しきれないお母さんが悪い。」と言われた。そうか。そうか。やっと子供の頃の悲しみや恐怖をやさしく包み込む言葉をかけられたんだ、と思ってとても安心した。

  • 反抗して親の言いなりにならないという行動自体も親に取り憑かれていることに変わりはない

母親の行動すべてが嫌になり家を飛び出し、専業主婦の彼女と真逆に手に職をつけ仕事に打ち込んできた。でもだ。その行動自体も母親に取り憑かれて行ったことだった。好きなことを仕事にするということと、仕事に打ち込むことと、どこまでが自分の意思なのかという線引が出来ず、今は苦しい。嫌で嫌で逃げ出してきたのに、結局は母親に取り憑かれていたなんて、そんなにすんなり認められるものではない。

 

カウンセリングを重ねると、子供の頃の話をするたびにおかしな思考に気付く。母親をかばうような言葉ばかり出てくる。自分の気持ちより母親の気持ちを尊重する。こうして客観的に見れば変なことに気付くのだけど、頭の中を支配していたのは、ずっと歪んだものだったんだという気づきがとても多い。

これは長期的な自分との戦いになりそう。私には、大人の自分を救ってあげる義務があるんだと思う。強く生きよう。

 

親との関係に悩んでいる方、本当に本当にオススメしたい本です。 

毒になる親 一生苦しむ子供 (講談社+α文庫)

毒になる親 一生苦しむ子供 (講談社+α文庫)

 

 

自分への傷をつけるのは私自身

 

ninatanpe.hatenablog.com

 

あれから1週間経った。

正直つらかった。寝れない食べれないでまともな思考に導けるわけでもない。あっちがひどい別れ方をして、ひどいやつだったと、かさぶたができずにまた化膿するような、そんな状態がずっと続いていた。

話をしようとLINEで伝えた。戻りたいわけでなくて、お互いの本当の気持ちを知って、これからのことを考える材料にしたかったからだ。でも伝わらずに信頼関係はもうないから前を向いてほしい、と言われた。また自分に生傷を作った。

 

朝は特にひどい。夜は家にいないようにしてコワーキングスペースで仕事をして仲間としゃべって気を紛らわしたりした。だから疲れ果ててすぐに寝れたけど、2時間おきに起きてはちょっと泣いて、気晴らしにYouTubeで猫動画を見て、気絶するように寝て、また2時間後に起きて…という状態だった。そんな毎日じゃ、朝まともな状態ではいられない。起きるとまず朝のあたたかさが去年の今頃を思い出させてつらくなった。ちょうど今頃、付き合ったからだ。今こうして文字にしていてもつらい。

付き合っていたときに感じていた違和感も好きだった思い出も、今となっては過去だということはわかってる。その過去に続く未来はないと知っているし、未来を見たいと思っているわけでもない。でも過去は美しい。どうあがいてもその事実は変わらない。事実は変わらないし私も変わらないから、ずっと過去は美しくてつらくなるんだ。

 

今日朝から取り乱してこんなYouTubeを観た。


恋愛で傷つくのが怖いあなたへ

「自分を傷つけるのは自分自身」ということを言っていた。その通りなのかもしれない。起きたことに対して、どう感じるかは私次第なのだ。元彼の行いは確かにひどかった。でも2人で歩んできた関係は2人のせいだ。少しずつ受け入れよう。彼の行いを許し、私が行ったことも許していこう。傷も少しずつ減らしていこう。そう思った。

 

結局、振り返るとたしかに好きだった時期もあるかもしれないけど、いつの間にか元彼の時々見せる感情的な部分におびえて、逃げ出せなくなっていた。元彼への不満と1人になることの不安を天秤にかけて、不満を選んできた。そうやって、自分を小さく傷つけてきたんだと思う。

元彼はモラハラをしてきた、と何度も何度もネットの記事を読んで納得しようとした。でもそう思いたいだけだったのかもしれない。真偽不明なことを確定して自分に非がないことを思いたかったのかもしれない。それは、自分が1人になることの不安を不満にすり替えて、自分を傷つけていたのかもしれない。

 

それに気づいて、少しだけ前を向けたような気がする。元彼に伝えたいこと、聞きたいことはたくさんあるけど、これ以上話をすることは不可能だろう。私が私を救ってあげよう。今すぐは変われないけど、一歩ずつ前に進んで、いつの間にか大丈夫になっているはずた。

失恋はつらいんだな。ちゃんとつらい経験をしておくことが、今後のためになると数年前にも思っていた。その時期が今ここにあるだけ。そう思って乗り越えていこう。

元カレは下げチン

つい2日前の話をしよう。

今日の夜はゲームしよう、のLINEを最後に2日既読スルーをキメ、もう恋人として見れない別れようLINEを送ってきた元カレ。 挙句、話し合いをしようと言ったらキレた。俺に隠してることない?に対し、ないよ何が言いたいの?と送り、ポエムを少々送られ、具体的に言わないとわからないと伝えたら、男と会ってたでしょ?と。

身に覚えがなさすぎる。なんでそう思ったの?の質問に、LINEを見たんだと言う。しいて言うなら同業の男友達と仕事の話をしに行った。それを言っているらしい。

話をしよう、とまた伝えると、もういい俺が悪かったからさようならと。これを最後に未読スルー、ブロック、着信拒否。

感情的な元カレと、論理的な私の最後はこうでした。

私に非がなさすぎるということは逆に落ち込む余地がないから助かっている。 ここでしっかり振り返りを行おう。

  • 前から男友達に過剰な反応をしていた。つまり束縛男だった。
  • 束縛男は被害者意識と自己完結の負のダブルコンボ
  • 嫌な予感というのは当たる
  • 薄々気づいてたモヤモヤは当たる
  • 話し合いの余地がない人とは続かない
  • 地雷を踏まないようにと考える日々はつらい
  • LINEで終わらせるって中学生かよ
  • 面と向かっては優しいことしか言わないのに、電話やLINEでは気が強くなる男は、DVの気がありそう
  • 察してマンはマザコン気質。気づけないことを責める割に自分は人に寄り添わない。彼女はママじゃねえ。

付き合うまでの話は記事にしてるから気になる人は見てね。 (振り返るのも気が向かないからリンクはらないわ)

それにしてもヤバい。語彙力なくなるヤバみ。

これはただのスピリチュアルな話だけれど、元カレと付き合ってから当時やってた会社をあれよあれよと言う間に追い出され、次の仕事もめちゃくちゃな現場で、なんとなく元カレに不信感を抱き始めたときから仕事は上り調子になった。 まあつまりそういうことだと思いたいのだ。あの人は確実にダメだったのだ。

また別の人に同じことをするんじゃないか、結婚なんて事態になったら不幸な人が増えるな、なんてどうでもいいことを考える。 こういう人間は変わらない。拒絶タイプで頑固な人間は、変わらない。

足が痛いと、2週間前に一緒に病院に付き添い通風と言われて元カレ。このまま人に因縁をつける人生を送り、被害者意識を極め、通風に一生悩まされていただきたい。

そして私は、過去を踏み台にし学びに変え、生きていきたい。

自分に一定の賭けをする

なかなか生活面がハードな日々を過ごしてきた。

1月、2月と仕事がほぼなかった。自分のスキルを棚卸しして、地元で活動するには何をしたらいいかを1から考え、まあ当然だけどそれに報酬は発生しないわけで。苦手で仕方のない「人脈を作る」というところに注力して、ちょっとずつ土台を作っていった。

貯金はほとんどない中で仕事もないとなると、とにかく焦る。明日生きるための金の心配をするのは、仕事に本腰を入れたいのに入れきれない原因になってしまって、2月半ばくらいからは、何度も日雇いバイトを検索したし求人サイトを見たりもした。暖房をケチって布団にくるまってPCを開いたり、風呂を我慢したり、夕飯を抜いたりしながら日雇いバイトを探している時間は虚しくて仕方がなかった。

でもここで目先の金のことに飛びついたら、長期的に見てチャンスになることすら逃してしまう気がして辞めた。彼氏には短期と長期のバランスが大事とも言われたけど、まだ生きるための金がわずかでも残っているから、心配を無理やりかき消すことにした。

3月に入って、少しずつ種まきした人脈から仕事がもらえるようになり、とりあえず生活出来るだけの金は稼げるようになった。寒いから暖房を入れる、カフェで仕事をする、風呂に浸かりたいときに浸かる、これが出来る生活を取り戻したことに対して、自分を褒めずにはいられない。フツーに生活することがどれだけすごいことか。自分の行動力に一定の評価をしつつ、会社に毎日通勤して仕事をする会社員の方々の尊さを拝まずにはいられない。

 

話は変わって、前の会社に絡む話を。

ninatanpe.hatenablog.com

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この記事に登場する女しゃっちょさんとは去年の夏にもごはんに行って、つい最近もごはんに行く機会があった。すっかり意気投合してしまったんだけど、この前会ったのは会社を辞めてから初めてで。

ちなみにこのあと話の出てくる、前の会社のハードな話はこの記事で書いている。

ninatanpe.hatenablog.com 

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(今となっては、言い過ぎたなとは思っているものの「発言を水に流すか辞めろ」という言葉を許せるわけではない。)

 

女社長が最近の前の会社や社長がどういう状況かを教えてくれた。そしたら、もうズタボロらしくて、大口のお客さんとの取引が終わったとかで、資金繰りも厳しいらしい。…という話を、誘われた会食の場で聞かされたらしい。別に女社長と仕事の話をするわけでもなく世間話しかしない会だったらしくて「こいつ何がしたいん?世間話してる暇ないんだけど?」と思ったらしい。笑

女社長は続けて、「あの人は人脈しか持ってない。自分にスキル皆無。あいつに絡んでるやつらも利用したいからあいつにくっついてるだけ。社員のマナーの悪さもピカイチ。サービス大きくしてきた社員をないがしろにして大人げないし、になさんはあんな会社にいるべきではなかったと私も思ってたし、旦那もそう言ってましたよ。」と。(ちなみに旦那さんは女社長の会社の取締役)

ここまで聞いて、正直心の中で笑ってしまった。嫌なことしてきたやつや嫌な目に遭ってるのはなかなか興奮する。お互い嫌な思いをして別々の道を歩んだわけだし、あっちの人生がどうなろうがどーだっていい。私は私の思い描いた人生を歩むまでだ。

結局、誰かにすがって生きているやつ、風呂敷を広げるしか出来ないやつ、成果より自分に生暖かい優しさしか与えない人間を優先するようなやつは、自らの行動が伴わなず、こうなる。この会社にいたときのことを振り返っても、終始甘い言葉ばかりかけ続けられてきた。その言葉に少しでも意味があったときがあっただろうか。よくわからない。

とはいえ、この先の人生がどうなるかなんて双方わからないわけだから、私はひとつの学びを得たということにとどまって、ただ淡々と教訓にするしかない。

 

自分に一定の賭けをする人生を楽しもう。その気持ちを一層強くした2019年の冬です。

 

この期間、たまにウシジマくん観て気を引き締めてた。 

闇金ウシジマくん

闇金ウシジマくん

 

 

限界と次の一手

1月に入ってから仕事ほとんど0。

2018年仕事面で精神的に疲れてしまったから、2019年初っ端は、自前のメディアを運営したり、フリーランス界隈で集まれるクローズドなコミュニティを作ったりして好き勝手していた。

なんて気分がいい毎日なんだろう。とはいえ来月からの仕事を探さなければならず、それに関して嫌な思いをすることは一定量あるが、それにしても仕事をしていないだけで気分がいい。

 

最近は、主に2つの限界を感じている。

リモートワークに限界を感じている。ネット上だけだと、先方と話が進みにくい。カジュアルな面談しましょうだの、あとで連絡しますねだの、カジュアルだった試しがないし、あとで連絡された試しもない。相手方は会社を背負ってるのに、ようやるわ。信用0。

東京の会社と仕事をするのに限界を感じている。もう都内の仕事なんて、ほぼ飽和状態。私の代わりなんかいくらでもいる。その気持ちは数年前に感じたもの、そのまんま。「自分にしか出来ない仕事」が限りなく0に近い。誰も私を欲してないし、私も自分の価値を発揮出来る自信がなくなっている。

 

フリーランスのコミュニティを始めたと言ったけれど、これによってカジュアルなコミュニケーションが生まれてすごく調子がいい。

一人が好きすぎてコミュニティなんか欲していなかったけど、メンタルの部分で支え合いたいというより、籠もりすぎてて思考が凝り固まるのを防ぐという意味合いが強い。自分で作っちゃえば自分の好きなように方向性も整えられるし、いい感じ。

 

そうこうしているうちに、徐々に県内でも仕事をしてみようか?という気持ちになってきて、コワーキングスペースなど出向いてちょっと話をするようにしたり、少しがんばっている。

引きこもり野郎にはとてもハードル高いことなんだけど、リモートワークで抱えた「人となりがわからなくて逆に疲弊してしまう」問題を解決出来るかもしれない。とはいえ、あんまり人と話しまくることはしたくないけど。

 

最近感じているのは、本当に私の持っている技術を必要としているのは東京の会社じゃないし、ITやWeb界隈の会社じゃないかも、ということ。

100を1000にする人したい人はうじゃうじゃ溢れているけど、0を1にする方法を教えて欲しいと思っている会社はもっとあるんじゃないか。私が身を置いている界隈は前者が普通すぎて見落としているけど、それは普通じゃないんじゃないか。

少し視点を変えて仕事を探してみよう。

 

友達にコーチングうまそうと言われた。そうか、そう思われているのか。自分の殻にこもってるだけだとわからないこともあるもんだな。