正論が守ってくれても、事実は変わらない。
前回の記事で書いたんだけど、
自分のことを差し置いて誰かのことを考えようとするのは、やりすぎると毒になりやすい私の性質だ。ただの平社員が身の丈に合っていないことをしている部分もあるとは思う。
このあたり、自分が過剰に変な方向に暴走してしまい、上司を責めたくなったり、自己嫌悪に陥るループがどうも抜けなくてしんどいのだが、ある日の夢で無意識下に蓋をしておいた見たくない自分を垣間見て、自己セラピー的によく理解をしたので書き留めておく。理解はしたが、やはり見たくないものなので複雑な気持ちで距離を置いている。
ある日の夢。夢で観たのは幼い妹を気にかける私だった。何もかもを把握しており、好きなおもちゃやこれからあげる予定のおもちゃを母親以上に把握している、あいまいだがそんな夢だ。家族の夢ばかり観るし、夢の妹は必ず幼い。
妹の面倒をよくみる姉、母親よりも妹のことがよくわかっている私。妹を「後輩やチームのメンバー」母親を「上司」と置き換えてしまえば、今のよろしくない状況が見えてくる。
ここまででも十分何言ってるかわからない文章かもしれないが、ここからはもっと私のためだけに書き留める。
母親、妹、私それぞれが、それぞれの人生に深く傷をつけている。そう思う。私も妹を守りきれなかったことで傷つけたし、私が生まれたことで母親の人生を傷つけた。いくら正論が私達を守ってくれようとしても、傷をつけあった事実は変わらないと思いながら生きている。
自分の好きなように生きた途端に妹を母親から守りきれずに歪ませてしまった、みたいなところが私の古傷で、その構造がきっと今のいびつな状況を作り出しているのだなと思う。そして、当時果たせなかった思いを再現させて、今度こそは成功させようと息巻いているのだが、執着から生まれる行動はろくなことにならず失敗する。
こんなところだろう。
誰かのことを気にかけていなければいけない、自分を差し置いて誰かのことをケアしなければならない、という価値観が骨の髄まで沁み込んでいて神経を蝕んでいて、強く自制していないと自分が暴走してしまう。そういう状況を作った母親を誰かに重ねて憎悪を募らせる。どうしようもなく誰かを憎みたいし自分を恨みたい。そうしないと自分を保てない。本当にしょうもない。何歳になったらこういう気持ちがなくなるんだろう。
寝る前にこのエッセイを読んだら自分の無意識の扉をノック出来ました。