クソゲーな人生だと自覚し生きていく

正直なところ、緊急事態宣言中とても私は穏やかだった。世間が私のような超インドア派に寄り添ってくれているような気にもなったし、インターネットには様々なエンターテイナー達がたくさんおもしろいことを仕掛けてくれたし、家に出ないというのは私にとって普通のことなのにそれをしているだけで称賛される側の人間になれた。だが、そんな穏やかな毎日はすぐになくなり、様々な分断が生まれていったし、一部のまったく価値観の合わない人間にいとも簡単にぶっ壊された。(今ここ)

直近の様々な情勢の渦中で、私はひどくマイノリティだと自覚をしたし、まともに働くことが無理だったことを強制的に思い出すことになった。社長になりたいだとか、もうちょっと事業を拡大させたいだとか、私に関わる人達をせめて幸せにしたいだとか、実は無理なんじゃないか、と思い始めている。なぜこんなに社会に溶け込めないのか。いとも簡単に自信が溶けてなくなっていってしまうのか。そういう疑問を置き去りにしながら、自分で自分を傷つける。

自分の体に慢性的な不調があって検査にいったらいつもどおりストレスですねで診察終了したことや、取引先のクソみたいな人間とのコミュニケーションや、過去を振り返って思ったことや、それらが一気に波のようにザッパーンと私を飲み込んで溺れていく。波が去ったらきっと何事もなかったように日常を押し進めていくんだろう。

何なんw EP

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あれほど刻んだ後悔も
くり返す毎日の中で かき消されていくのね
真っさらになった決意を胸に
あんたは堂々と また肥溜めへとダイブ

本当にそう。同じことを繰り返す。気づけば誰かに主導権を握られる。「誰か」は目に見えてわかるような単純なもんじゃない。過去だったり弱い自分だったり、母親だったりする。

クソ。本当にクソ。生まれたときからクソゲーに仕立て上げられた人生で、負の感情を正しく消化できないように捻じ曲げられて、誰かの期待を背負うことばかり求められて、自分の気持ちがわからなくなって当然だ。正しく人を嫌うとは何なんだろう。自分を好きになるとは何なんだろう。心の底から自分を褒めたことがあっただろうか。多分ないと思う。この前頑張りが認められたような仕事をこなした。でも、そんな自分を「調子に乗るな」とか「これくらいで喜んでバカみたい」とかそういう言葉でなじる自分がいた。なんで純粋にすごいって思えないの?1mmも調子に乗るような言動は取ってないよ?って子供の自分が泣きそうになる。

こうやって人生がどんどん迷子になっていくし矛盾の大きさを目の当たりにしては目の前が真っ暗になる。でもだ。あのとき死なないと自分に誓ったからもう生きていくしかない。様々な複雑な怒りを適切に自覚し処理し、品行方正に見える私の裏側では歪みに歪んだ自分をなんとかやりくりしながら人生を食いつぶす。それしか道がない。

表面張力で保たれる世界

 

今、認知行動療法を改めて受け直している。会食恐怖がちょっとばかしまた気になってきているからだ。 なぜ人とご飯を食べるのが苦手なのか、それを追っていくとやっぱり家庭環境の問題にぶち当たる。そう簡単には取り除けない家庭の問題。しんどい。この話はまたこんどゆっくりします。

社長になりたい - 仕事ときどき女の子

前の記事でこう書いたけど、あれよあれよという間に外出自粛を知事が宣言し、昨日緊急事態宣言が発令され、私の住んでいるところも漏れなく対象になった。 だから外食がんばろうとはできなくなり、会食恐怖の克服はもうちょい先の話に。

幸い私は仕事に影響がない。たまに行く取引先へのミーティングがすべてオンラインに切り替わったくらい。とはいえ、ちょっと強風が吹けば粉々に粉砕されるような個人事業。不安しかない。そろそろ着手しようと思っていた法人化計画も、この状況ではマネーが続かないから行動計画はすべて白紙。iPadに事業計画を出していくくらい。

世間の状況は芳しくなく、県の経営相談所は資金繰りの相談が鳴り止まず、取引先は毎日のように社長から直々に今後の経営体制についてアナウンスがあり、誰かと話せばネガティブな話ばかりで、ネットは怒りで溢れている。

私は今までに増して外に出る機会がなく、本当に人とまともに交わる瞬間がない。まるで終末。Slackでチャットを送り合っている相手は本当に人間なのか、Zoomで話しているのは人間なのか、誰が証明してくれるだろうか。ディストピア

この一件で、世界はなんて絶妙なバランスで動いていたんだろうと思わざるを得なかった。というか、社会の課題が一気に噴出したことを目の当たりにして、世界の平和なんてコップの水が溢れるかどうか表面張力でなんとか保っていただけだと思った。表面張力ギリギリあたりにたまたまいた人たちが溢れてこぼれてしまったような。私だって、そのギリギリのところにいる人間だ。ちょっとでも振動があればあっという間に終わる。

収束したら、私の価値観も、もしかしたら社会の価値観も少し変わるんじゃないかと思う。いつも売れていたものが売れなくなり、いままで売れていなかったものが売れるようになったり、正しくなかったものが正されたり、物事が淘汰されていったり、そんな気がする。私は今、慢性的にどんよりしたメンタルの沼にハマっているけれど、そういう中でも何かよくわからない「歩んでいくべき道」みたいなものがぼやぼやと見えてきている。見えてきている、というかこれまでなんとなく思っていたことが確信に近づいているのかもしれない。

 

 まあとりあえずどうぶつの森するよね。

あつまれ どうぶつの森 -Switch

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社長になりたい

それなりに仕事が忙しくて、こんなご時世に嬉しいこっちゃと思いつつ、少しだけ詰めすぎた気もする。でも元気でやっている。ミーティングがオンラインにいくつかなるくらいで、それ以外は普通。むしろこんな感じで忙しい。それでもいくつか仕事がなくなったりした。生活に響くようなことではない。むしろ、忙しい中で更に忙しくならずに済んでホッとする一面もあったりする。

そろそろ会社でも作りたいな、と少しずつ思い始めている。だからといって、今この事業で会社を立ち上げるのもあまり現実的ではないとも思ったり、BtoC向けの事業をやりたいなとも思ったり、ブレブレの段階。一人で仕事を回すことに対して不安が大きすぎるから、誰かと連携プレーをしたいということと、事業開発の仕事を何年もやってきて、自分で好き勝手運営したいっていう気持ちも大きい。正社員に戻る気はさらさらないから、もう社長になって会社を切り盛りするしかないと思ってる。

社会を変えたいとかでかい思いは一切ない。ただ周りにいる人たちの居場所になるような、そんな状態が作れて私の近場の経済が回っていればそれで十分だと思う。

 

別の話。

今、認知行動療法を改めて受け直している。会食恐怖がちょっとばかしまた気になってきているからだ。

なぜ人とご飯を食べるのが苦手なのか、それを追っていくとやっぱり家庭環境の問題にぶち当たる。そう簡単には取り除けない家庭の問題。しんどい。この話はまたこんどゆっくりします。

 

何故か絶望先生を観はじめて止まらなくなっている。

 

 

呪縛を解く一年だった

今年は衝撃しか受けてこなかった気がするけど、結果的に私自体がひとまわり成長したというか、成長といってももっと魂レベルでの格上げというか、うまくいえないけどそんな実感がある。

今年仲良くなった友達たちともすごくいい関係で、しんどいときに話を聞いてくれて決して否定しないような人たち。大学のときから付き合いのある男友達たちからの友情も深く感じられた。なんだかほんわかるす思い出が多くて、過去を振り返ってあまりいい思い出が出てこない私にとっては、とてもいい流れだと思う。

 

このブログを始めたとき私は確か26歳とかで、精神崩壊へのカウントダウンといわんばかりにそれからはちゃめちゃなエピソードばっかりを書いてきた気がする。振り返ると、よく傷だらけになりながらも無事今まで生きてきたなと当時の私を抱きしめたい。

「仕事ときどき女の子」を書き始めたときは不健康に仕事にのめり込む女の子だった。でも今は、仕事もそこそこだし(でもね来年はもっとやりたいことがある)、それに女の子になることも…いや、あるかもしれないな。好きな人とまったく進捗がないんだけど進捗したら精神的に女の子にはなるかも。笑

 

多分、今が人生で一番穏やかに過ごせているのかもしれない。期待と絶望を同時に抱きながらでしか築けなかった人間関係が、どっちでもなくニュートラルに感じられる。ひとりでいても虚無感を感じなくなったし、話したくなったら自分から友達にアプローチ出来る。自分の中の相反する気持ちが徐々に小さくなって、人生の矛盾が解かれていく。

 

今年の年末年始は、人生で初めて一人で過ごす。家に帰らないと決めた。帰らない選択をすることでうちは非難轟々になるような環境なんだけど、テキトーに仕事だから云々と嘘をついた。

あと、母親のお姉さん(私のおばさん)にすべてを打ち明けた。親族で唯一まともな人だからだ。もう無理をするな、お母さんには言わないからうちに話をしにきな、と言ってくれた。話してよかった。

 

来年は、自分の再構築の年になるかな。マイナスから0になったのが今年、来年は自分で自分をもういっかい作り直すかな。呪いの言葉によって作られた価値観を全部ぶっ壊して自分の幸せを再定義しようって思う。

 

じゃ、みんなもよい2020年をね。

 

子供でいられなかった私へ

自営業になって1年ちょっと。大して稼働せずとも余裕のある収入を得られるほどに、それなりに、稼げている。まじで大人。

 

春からカウンセリングを定期的に受け続けていて、自分の置かれていた状況(うつや休職やパニックなどなど多数のラインナップ)の根本理由に迫る作業を重ねているが、総じて私には子供時代が皆無だった、というところがついてまわる。

人生最初の記憶からして、母親が私のわがままにキレて出ていくという思い出から始まる。そんな人生だ。お母さんはどんな人?とのカウンセラーからの問いに、「こわい」「話が通じない」としか言葉が出てこず、まったくスラスラと話せなかった。本来あなたは知識欲のある子供だったはずなのに話の出来ない母親と一心同体を求められていたのだからおかしくなって当然で何もあなたは悪くない、と言われて初めて得られた安心感といったらない。

子供の時の記憶を掘り返しても、自分が無理を重ねているとか、あのとき本当はこうしたかったとか、善意が裏切られたとか、そんなものしかカウンセラーに話すことがない。子供って「どうして?」を聞いたり嫌なことは嫌と言えるのが普通なんだけど、それすら許されてこなかったんだね、と。私にとっては我慢が普通だから、子供が素直に感情を爆発させているところを見ると、特に妹が出来てそれを身近に見ていると不思議だった。母親も、不思議そうに妹と対峙しながら毎日イライラしていた。妹が出来るまでは呪詛のように「一人っ子はわがまま」と言われてきたし、妹が出来てからはいいお姉さんでいなければわがままの烙印を押されてしまうと怯えていた。

 

肉体は子供なのに精神を子供でいさせてくれなかった環境に、虚無感を感じる。ずっと大人を演じてきて、肉体も大人になったけれど、大人は演じてきたものだから中身はずっと子供なのかもしれない。3歳から成長を止められて、でも大人の役を演じてきた。しかも、それは父親の代役とか、お姉さんとしての役とか、まともに話の通じない母親をなだめながら家族の安泰を支える重役を背負ってきた。今なら馬鹿らしいとわかる。でも、子供の私にとっては生きるか死ぬかのサバイバルだ。他の世界を知らないし遮断されてきたのだから「やる」以外の選択肢なんかなかった。

 

家から出るときの広場恐怖の緊張感にしても、嘔吐恐怖にしても、原体験は子供の時の抑圧された環境にある。神経を使いながら仕事にも支障が出そうになる恐怖を抱えながら、これらと戦っている。

本当にクソ。全部を恨みたくなる。でも、もう私は私を嫌いになりたくないし自分が敵になってしまったら、味方はいなくなるし生きていけない。母親は無意識に私を恨んでいたんだろう。でなければ、こんな悲惨なことにはなってない。情緒的ネグレクトであろう。肉体に刻まれないから誰にもわからないが、情緒は傷だらけだった。自分も知らないところで、だ。どうしようもなく救われない物語すぎないか。

今からでも、子供時代をやり直すしかない。もっと堕落的に、もっと自分にために金を使って、ダメな自分を受け入れ、植え付けられたルールから解放し、自分を愛してあげよう。誰かにもらう愛ではなく、自分が自分に愛を与えていこう。今の人生の課題は、自分を慈しむことだ。

 

中二病化しているからヘルシング観てる。

 

心の隙間

わかりやすいレッテルが貼られてないだけでヤバい人っていうのが身近にいるんだなと感じてて。

自分の人生を無意識に人のせいにしてるんだよな。嫌なら近づかなきゃいい、とはならずに人を責める。というかもう、責めずにはいられない、という言葉の方が近い。自分にとって都合の悪いことがあれば感情をぶつける。泣けば許してくれる、怒れば従ってくれる、みたいに思ってる。子供と同じ思考回路で動いていることに当の本人はもちろん気づいていない。それに、正義の仮面を被って無意識でやってるからやっかい極まりない。

ただそういう人を惹きつける自分という存在も考えものだ。カモにならないとわかれば寄ってこないわけだけど、優しかったり共感能力が高い人には寄ってきてしまう。 ヤバい人に歩み寄られるのは、良くも悪くも相応の理由がある。みんなに優しいの裏側には、みんなに嫌われたくない自分が傷つきたくないという言葉が隠れていたりする。そういう心の隙間にヤバい人はつけ込んでくる。

ただね、ヤバい人になるもならないも、その一線はとても細くて薄い線で区切ってあるだけだとも思ってて。

私はね、自分だけはああならないって胸張って言えないよ。冷静でなくなったとき、根っこにある満たされない気持ちが爆発したら簡単に向こう側に行ってしまうと思う。というか、行っていた時期もある。だからさ、ヤバい人が友達や私に干渉してきたときは本当に許せないし腹ただしいんだけど、心のどこかで責めきれなくてやりきれない。

心の隙間を埋めるのは、目の前の責め立てたいほど嫌いな人でもなく、喪黒福造でもなく、自分しかいないんだって、常にこの言葉を携えておきたい。

笑ゥせぇるすまん (1) (中公文庫―コミック版)

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安心できる場所を求めて

生きてる。なんとか生きてる。仕事のない時期を過ごしていたけど今はそこそこある。断ることもあるくらい急に舞い込んできた。様々なご縁は、意識してコントロール出来るものではないなと痛感する。いいときはいいし、悪いときは悪いのだ。それ以外何者でもない。

両親とのことは葛藤もありつつもう諦めている。関わらない生き方をして、のらりくらりとかわしていくしかない。ただそれだけしか自分の人生を生きる方法がない。前の記事から何度もカウンセリングを受けて、両親を責めたい気持ちと自分の無力さにケリをつけてきた。未来は自分が作っていくしかないし、他人を変えることは出来ないし、いかに自分を守っていくかを考えなければいけないし、残念ながら真っ当に生きていくには家族は攻撃を与えるものとして認識しなければ私が私じゃなくなる。

今後付き合っていくべき人はもう見誤ることはないだろうと少しの自信がついているが、いざ目の前に人が現れたときにはまた自信がなくなるだろう。

少しだけ気になる人がいる。滅多に会えないしアプローチできるほどの勇気もなく臆病になり、ただまた会えないだろうかと願うだけだ。

時々ひとりがたまらなくさみしくなったり、ひとりが楽すぎてずっとこうしてたいと思うときもある。

よく前の前の元カレが夢に出てきて、仲良く一緒に暮らしている。家族からもらえなかった安心感を求めているんじゃないかと感じる。心から安心できる場所が欲しい。だから傷つかないためにひとりでいたいのかもしれないし、誰かを欲してしまうのかもしれない。そう気付いてから、そんな弱い自分を受け入れなければならないなとも思う。

子供の頃の私が泣いている。救ってあげなきゃな。