どこまで年のせいなのか

無事転職に成功し、社会的信用も手に入れ、何も悩むことなんかないはずだったのに悩んでいる。

会社員になって思ったのは、コミュニティに属すとそれを基準として自分のことを測ろうとしやすいことだ。あの人と比べて劣っている、勝っている、負けていない、ここがダメ、若いのにすごいな…と、ナチュラルにこんなことを思いながら仕事をせざるを得ない。別に誰も悪い人じゃない。でも自分をかわいがりたい気持ちはいつまで経っても手放せるものではなく、エゴは肥大化するばかりである。

自分の可能性を信じる気持ちが比較的強く、その気持ちは自分を苦しめたりするのだが、とはいえもう30を超え可能性の伸び率などわかりきってしまったし期待されることも無茶なものじゃなくなり、ふとそれに気付いて若干絶望した。もちろん伸ばせるスキルはあるとは思うが、もう秘められた何かが開花するわけでもなく、体力もなく、踏ん張れるほどの強い気力もない。淡々と、合理的に、目の前の目標を分解し、タスク化し、作業をし、ひとつづつ完了ステータスにしていく。それだけだ。

友達の相談を聞いていると、離婚してすぐ別の人と付き合う友達もいれば、彼氏の母親のようになってしまい振られる友達もいるし、いつも旦那の愚痴をこぼして数時間止まらない友達もいる。それらをへーとかはーんと相槌を打ちながら聞いていられるのは、私には関係ないところで起こっていることだからだ。それが私事になったら、きっと耐えられない。

誰かの心をえぐり、えぐられることはとてもこわい。恋愛は別に必要ないからしないんじゃない。こわいから自分からいかないのだ。受け身でいれば相手のせいに出来るから楽だ。そうやってこれまでやり過ごしてきた。その恐怖心を乗り越えるほどの、熱い何かや別の恐怖心が支配することはあるのだろうか。誰かと一緒にいたい気持ち、誰かと人生を共にしたい気持ちはあるのだが、そこにセット抱き合わせオプションが多々あることがとてつもない違和感がある。そのオプションをいらないと言っていい理由が欲しい。いっそのこと自分をマイノリティだと認めてしまえばオプションを放棄出来るんだろうが、別に自分のことをそうとも思っていない。普通の枠にいればある意味楽だし戦わなくていいからかもしれない。

友達の相談を聞くたびに、恋愛が他人事になっていく。こわいという気持ちが大きくなっていく。傷ついてまで一緒にいる理由が一生わからない。でも意識してしまうのは、本当は恋愛をしたいんじゃないかと思う。とはいえ、恐怖心の方が大きくて何も出来ない。仕事は合理的に戦略的に進められるというのに、なぜ恋愛はこうも一歩を踏み出せないのか。マッチングアプリを戦略的に攻略していくことだって出来るはずだ。KPIを設定し、日次や週次でPDCAを回していけるはずだ。でも感情をパンドラの箱に入れたまま開けられない。未だに7年間付き合っていた人のことを日常的に思い出す。別れてから、もうすぐ7年経つ。そのうち、付き合っていた年月より別れてからの年月の方が長くなるだろう。それでも思い出す。これ以上考えるとパンドラの箱を開けてしまいそうだ。

そんな、なんだかどうしようもない気持ちになってしまい、こうしてブログを書いている。とりとめねえ。

「20代の自分が30代の自分を作る」と言われたし会社員になります

先に言うと、フリーランスを辞めて来月から会社員になりますよ〜ん(よ〜ん?)

 

1年くらい前からず〜〜〜っと薄く違和感を感じて悩んでいたことに対する決着がついたと思っている。

ninatanpe.hatenablog.com

 

私のキャリアを考える上で、このブログを始めた頃のメンタルが死んで休職したことがとても大きい影響を及ぼしている。未だに大きな傷になっている。そのときの古傷を二度と傷つけまいと、どう働けばいいのかをずっと模索してきた。

フリーランスになったきっかけもそのときの影響が大きく、当時いた会社と折り合いがつけられないし人間的にも信頼出来ない人たちばかりだったから、ざっくりと「会社員は無理だな」という感傷的な結論を出して始めた働き方だった。消去法で選んだ。今振り返っても恥ずかしい自分の姿のひとつである。

でも、それでも3年半近く続けて自分を食わしていけるくらいの稼ぎを得られるところまでやってきたのだが、2021年になって少しずつ、とても薄〜く「これでいいんだっけ…」と思い始めた。

その気持ちが爆発した瞬間をはっきりと覚えているのだが、今から半年くらい前、集客に関わるミスをしてしまった(お客さんに対してではないため私が私に打撃を与えるようなもの)。小さな設定ミスなだけなのに、集客に大打撃を負うようなものだった。そのとき、こんな小さなことで大打撃を受けるのってヤバいな…とか、一人で事業を育てていくのは限界だな…とか、じゃあ時間とリソースを使ってでもこれを成し遂げたいのかと自分に問うたところで別にそういうものではないな…とか、ずっと見てみぬふりをしてきた重大な問いと答えが噴出してきた感じだった。

ここから、今後どういうキャリアを積んでいきたいのかをよく考えていった。

ある日、友達に相談したら「20代の自分が30代の自分を作るし、30代の自分が40代の自分を作るんだよ」ということを言っていた。これをすごく実感して、このまま今の仕事をしていって積み上げたものが到底40代の自分をいい感じにしてくれるものとは思えず(もちろんスキルになることは0ではないが)、ここが一人で行ける限界だとも思ったし、ピリオドを打つタイミングなんだなと思った。

こんなことを考えていたら、ある日突然、数年ぶりに昔働いていた会社の社長と会うことになった。雑談的に実は最近フリーランス辞めようかなって思って…と軽く話したら、その場にたまたまいた当時の先輩や同僚もやってきて「今ちょうど募集するところだけど興味ある?」と共有され話を聞かせてもらい、あれよあれよと言う間に採用試験を受け、ちゃんとした採用面接を受けて晴れて会社員になった(事情が複雑なのだが当時いた会社ではない)。

ここまでいい感じに進めてもらって大変ありがたいのだが、特別なルートに乗っかるわけでもなく面接を受けて勝ち取った椅子である。こういうのは自分でコントロール出来る範囲外のところで、得体のしれない何かが動いていくようなものだよね。

正直、嬉しい気持ちよりもちゃんとやっていけるかな…という不安の方が大きい。でもそういう不安は「健全な不安」だと思うから、ちゃんとチームのみんなとコミュニケーションを取ってやっていきたいなと思っている。

こんな感じ〜

 

最近よく思うのだけど、ちまたに溢れるライフハックは「いかに賢く生きていくか」という視点が強いけど私は「いかに善く生きていくか」を目標としていたいなと感じる。人に対して思いやりを持つ、嘘をつかない、やりたいことをやる、とかそういう「普通のいいこと」を大事にしたいなと思う。世の中は複雑で時代は変わっていくけど、結局人としての営みって変わってないし。私自身が複雑なものを抱えすぎているが故に、得体のしれない感情はどんどん手放していきたい。

 

以下、メモ的に具体的に考えたことを、取り留めもなくざっくりと言葉にしてみる。

  • 続けるor辞める?
    キャリアについて悩んだとき「フリーランスを続ける」「フリーランスを辞める」という選択肢があって、結論として前者では頭打ちを感じたしこの事業を育てていった先に理想の自分がいそうにないしやりたいことではないとハッキリ感じた。よって、まず後者を選んだ。
  • 辞めてどうする?
    「新しい何かを始める」「今までのスキルを生かして何かを始める」の大きく2つの選択肢があって、前者は資格取得を頑張っていたようにメンタルヘルス系の何か新たなサービスを作ってみたかったが、勉強を続けていくうちにそんな生半端なものじゃないと悟った。後者の道を選んだのは、この仕事自体は楽しいし好きだし、そうやって楽しそうにやっている自分も好きだったので、その道を歩んでいくのは間違いではないと思った。
  • 積んできたスキルをどう活かす?
    私のスキルを活かしていける場所は会社員の方が有利だとは思っていた。フリーランスの場合、エンジニアやデザイナーのようにアウトプットが明確にある仕事は取りやすいが、ゼネラリストはそうもいかない(これを話そうとすると長くなるので割愛)。だもんで、市場価値やニーズ的に頭打ちになりやすいと感じた。そうなると、会社員がいいのかなと思った。
  • 会社員またやれるのか?
    フリーランスになった当時は0か1かという思考しかできなかったが、メンタルも安定して自分と折り合いをつけることを覚えたからこそ選べたことだと思っている。まず絶対できそうにないのは「残業がすごい多い」「物理出社が多い」「今住んでる地域から離れる」「デジタル化進んでない」みたいな環境で働くこと。それが避けられれば、むしろこの世の中で会社員でいることは社会生活上メリットが多い。それに、最近は会社員でも柔軟な働き方を選びやすいご時世になったこのも大きい。
  • 世の中の情勢が不安定だから辞める?
    と、聞かれることもあったけど、そこまで大きな要因ではないかな。もちろんそういう不安さはあったけど決めた道はなんとかするしかない、みたいな気持ちが強いから大きな要因ではない、という感じ(ただ、こういう気持ちは年々しぼんでいく気はしているから堅実に歩みたい気持ちも少しは芽生えてきた)。
  • 「事業を作っていくこと」の観点を得られたのは大きい
    ゼロからお金を稼いでいく=事業を作っていくっていうワンランク上の(?)視点を身を以てやっていけたのは大きかったなと思う。自分の生活がかかっているからガチでやらざるを得ないし。お金に絡めて、税金対策とかそういうものをシビアに考えられるようになったのもよかった。
  • いろんな立場や職業の人と話して視野が広がった
    取引先の会社員から経営者、フリーランス仲間、様々な立場の人やいろいろな職業の人とコミュニケーションできて視野が広がったのがとてもよかった。
  • 自分をよく見せることは最後まで苦手だった
    特にSNSとかで自分の意見を言ったり、こんな成果残しました!って言うのすごく出来ない人間だった。この辺うまい人は仕事取れるだろうな、とも思う。そしてSNSはリスキーで、本名を晒してまでがんばる勇気はなかった。
  • とにかく自分を食わせてここまでこれたことがはなまる100点満点
    もっと稼げたなとか、もっといろんな仕事出来たなとか、考えたらキリがないのだけど、一人で仕事取ってきて自分を食わせていったことに、自分から自分に感謝申し上げたい。死ぬほど仕事を抱えて稼いで法人成りするんだ〜ってマウント取ってくる人もいたけど、私はそれは最も望んでいなくて、私のペースで持続可能な働き方を模索していけたことが財産かなと思う。

若かりし頃のサボりを一括返済するために美容クリニックに行ってきた

今年も2ヶ月くらいで終わってしまう。年内にしておきたいことなど毎年特に考えはしないのだが、2021年でフリーランスとして働くことを終えようかなと決意をしたため、何かと余裕のある今のうちに後回しにしていたいろいろなことをやろうと思った(仕事の話はもうちょっとまとまったらどこかで書きたい)。特に体に関するいろいろだ。直近は、歯医者に行って虫歯の治療をしていたりする。

そしてもう一つ、やっておきたいのが美容クリニックに行くことだった。今年の夏頃、肩こりがひどくてボトックスを打ってもらった。美容クリニックなんて初めていく場所だったからすごく緊張し、本当は顔の施術についても聞いてみたかったのだが余裕がなく、ただただ肩にボトックスだけ打ってもらった。

で、この前予約をして再度同じ美容クリニックに行ってきた。

この日行ったのはフォトシルクプラスという光を当ててシミやニキビ跡、色ムラなんかをきれいにする施術と、ハイフという熱を肌の奥の筋肉?に照射して顔を引き締めるという施術。午前中にカウンセリングをしてもらい、午後空きのあった時間に施術をしてもらった。

事前に調べた感じだと、ゴムでちょっと弾かれるくらいの痛みとかいう書き方をされてて超余裕かましていたのだが、実際私は痛みに弱く肌も強くはないし、かつ医療用機器は威力もバツグンのため、クッソ痛かった。

まずハイフから行ったのだが、バチィ!!!という音とともに電流が肌の奥底にビリビリする感じ。骨の近くは更に骨に響く。銀歯近くも同様。半分終わって一度起きて鏡を見せてもらうと、半顔だけキュッとしていて、わあ〜〜こんなに違うのか〜〜とビビる。続いて半顔、目元、と終わり次はフォトシルクプラス。もうさすがに痛くはないだろうと思ったのだが、今度は痛みというよりも顔の近くでストロボ焚かれるような感じで、いちいちビビってしまった。目は覆われているものの光はそれ以上のもので打たれるたび「( ゚д゚)ハッ!」となるのが恥ずかしい。脂汗をかきながら30分ほどで終了。息も絶え絶えでメイクルームに行くと、ハイフのせいなのか顔が赤く頬に熱をもっていたので小さい保冷剤で少し冷やしてからクリニックをあとにした。

施術終了後、夜風に当たりながら帰宅し少しクールダウンしているもののやはり頬が熱を帯びていて保冷剤を当てながら寝る。フォトシルクプラスの方はシミで特に反応した部分が黒く浮いていた。ほくろみたいになっていたりした。

次の日、引き続き頬に熱を帯びていて顔も少し痛い。日焼けをしたあとの乾燥のような状態で、軽く顔を洗って敏感肌用のパックとこってり系のクリームをする。

数日後、なんとなく頬の肉の位置が上に上がったような感じがする。思っていたよりアゴのラインはきれいになってはいないが、全体的に肉が正しい骨の位置に配置し直されたような(?)感じ。肌表面は相変わらず乾燥していて、ところどころ黒浮きしていたものが剥がれてシミが薄くなっていた。本当に大丈夫なのかな……数万円かけた分心配すぎてずっと何かを検索してしまう。

で、施術から一週間後が今なのだが、肉の位置は引き続きいい状態。肌表面の乾燥も落ち着き全体的にワントーン明るい肌の色になった。シミは薄くなったところも多いが、肝斑であろう場所は変わらずそこにあり続けた(トラネキサム酸は別途処方されたので飲んでみている)。

こんな感じで、施術から数日はあまりいい状態ではなかったので不安で死にそうになるのだが、効果が徐々に現れる系の施術は長い目で経過観察することが大事そうだ。次はアゴヒアルロン酸でも入れようかな、と思っている。脂肪吸引だの糸リフトなどをするほどの勇気もなく、今後も勇気は持てないと思うから手軽なものをやっていこうとは思うのだが、若い頃ちゃんとケアしてなかったツケを一括返済しているような気分だ。食事も肌のケアも怠り続けた分の忍耐として、様々な痛みや不安を経験せざるを得なかったような気がして、美容とは忍耐だとつくずく思った。

とはいえ、若い時から美容のためにと食事を気にかけ、肌のために高い化粧品を買い時間をかけてマッサージをするなどのケアをすることも忍耐だ。とにもかくにも美容とは、人それぞやり方は違えど忍耐だ。そう感じた30代前半、私であった。

人生の意味がわかりそうなときもあるが夢とか幻想の類で

仕事をする気がない。このまま行けば少々の赤字になりそうなので稼ぎは確保していきたいのだが、思うだけ。ただそれだけだ。もう少し稼がなきゃと思いつつ、問い合わせの内容を選り好みして断る。それもそれで自分を守るためでもあるのだからしょうがないが、ストレス耐性があるというだけで社会適合率がグンとあがるこの社会は私に優しくしてくれないから困るのだ。

この前、年1くらいであるいわゆる「ヤバいやつ」を一気に3人相手にする状況を抱えてメンタルが死んだ。暴言吐くやつ、断りの文言を読めないやつ、私のためだと言って会おうとDMするやつ。勘弁してくれ。その感情、人にぶつけないでくれ。

生き物の暖かさを感じない生活。外の空気に触れない生活。夏の訪れをぼく夏の実況で知る生活。そんな生活を送っていると、夢に出てくるのはほとんど会ったことない人達だ。昨日は松重さんと家電量販店で楽しく美容家電をお試しした。まったく意味がわからない。

全体的に人生の意味がわからない。時々わかりそうなときもあるのだが、そういうのはたいてい夢とか幻の類で、掴んだ手のひらを開いてみると何もなかったりする。その繰り返しの人生。

子供の頃から人生は楽しくないものだと植え付けられてしまうと、どう足掻いても覆せない「何か」を抱えてしまうのだと、最近はよく思う。自分を不幸にするのは自分だというが、本当にそうなんだろうか。体が「人生は楽しくない」と覚えていて、それを刻み込んだのは私ではないし、こうなるともう、だましだまし夢とか幻想を見続けて現実を否定し続けるしかないのではないか。

そんなことを考えていると、あのヤバいやつらも結局は私と同じような側にいるのだろうと思う。同じ類の人間なのかもしれないと、冷静に考えようとする自分がいてゾッとする。そういう、私を傷つけるもうひとりの私を冷静に捉えている自分と、必死に抵抗する自分と、いつも喧嘩しててだいたい前者が勝っていく。もっと自信を持って「私はそういう人間ではない」と言える人生だったらよかったと思う。

正欲

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たまにはライトな話したいからする

なんかこう…いつも記事を書くと苦悩してしまうので、苦悩していないになちゃんモードで今日は記事を書きます。

 

実技試験免除になって超うれしかった

半年スクーリングしていた心理学系の資格講座が終わり、この半年の成績が団体の求める「基準」なるものを超えると実技試験が免除される制度がある。それにクリアし、実技免除をもらった(学科試験と実技試験がある資格なのだ)。まじでうれしい〜〜〜〜であった。

この半年クソ苦しかった。体験学習が終わると、習ったことが全然出来なくてうずくまって泣いた日もあったし、課題で絶対Aをもらえるはずだと思っていたものが私の至らなさや詰めの甘さのせいでもらえなかった、とかとか、自分の嫌な部分すごいみた。というか、私って意外と諦めが悪いし頂点を目指したいタイプなのかもしれない、と気付いたのもデカい。

学科試験が近いから気が抜けないのだけど、ひとまず胸をなでおろした。

 

星野源の新曲とイヤーブック

www.hoshinogen.com

源さんは一年の活動をまとめた本が1年に1冊出る。今年も届いた(んだけどまだ読めてない)。ついでにPOP VIRUSのステッカーも買った。かわいい。

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源さんのデビュー日は私の誕生日なんだよね。毎年嬉しいが、今年は「不思議/想像」のCD+Blu-rayで去年のオンラインライブ、今年のオンラインライブ(ざっくりすぎてごめん)が映像化されるから誕プレぐらいのノリでわくわくしている。

 

藤井風の武道館ライブと「きらり」

風さんのライブ映像が届いた。去年Spotifyで最も聴いたアーティストは「藤井風」だったらしい。新曲の「きらり」も最高。超すき。「HELP EVER HURT NEVER」からの「へでもねーよ」「青春病」からの「きらり」、飛躍っぷりが爽快。

青春病がリリースされたとき星野源ANNで源さんが「青春をとどめ色と表現する人と友達になりたいですね」とコメントしていて(ちょうどその回前後のテーマが大人になってから作る友達だった)、ラジオの前でキューーーーンとしていた。

 

嵐の「untitled」

30過ぎてジャニーズにハマるとはな。でも、嵐ってなんとなく、ジャニーズからいい意味でラインオーバーしているなとも感じている。 特に活動休止を宣言してから2020年末までの疾走した姿をNetflixで観て不覚にも感涙し、アラフェスを観て、「うおおおおかっけええええ」と感動してから2ヶ月で活動休止となった。

特に「untitled」というアルバムとツアーが好きで、その中でもダントツで「Sugar」という曲が好きなんだけど、アラフェスで初めてライブ観てから、ソッコーでYouTubeで検索したらなんと「untitled」のライブ映像が公式からフル公開されていて、それだけでは飽き足らずBlu-rayも買った。とにかくかっこいいから、あんまりこういうジャンル聴かねえんだわって人にも届いてほしいぜ。

ARASHI LIVE TOUR 2017-2018 「untitled」(DVD通常盤)

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  • 発売日: 2018/06/13
  • メディア: DVD
 

 

バイオハザード ヴィレッジ

PS5が来てやっとPS5用ソフトを買った。それがバイオだ。映像きれいはもちろんなんだけど、武器によってコントローラー照準合わせるときの重さが違うのがおもしろいなと思った。ハンドガンは軽い、スナイパーライフルは重い。

そんで、8は7から地続きの物語になってて、4のような村や宗教の世界観が描かれている。伏線を張りに張りまくってまだ回収しきれていないし、クリアしたけど8時間くらいしかやってなかったから本編にそこまでボリュームはない。追加コンテンツに期待。

【PS5】BIOHAZARD VILLAGE Z Version

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  • 発売日: 2021/05/08
  • メディア: Video Game
 

 

そんなかんじ。

引き出しを開けては閉める

2021年、まだ1ヶ月半くらいしか経っていないが、仕事運としては散々である。一気に売上の75%近くを失い、制作系の単発の仕事にきた問い合わせはことごとく提案が通らなかったり人としてヤバい感じの人がいてコミュニケーションコストだけかかったり、こうも「時々起こる」ようなことが一気に来てしまうと、さすがにへこむ。ただいつもと違うのは、へこむが自省するような内容ではない気がして、自省はしてない。

次にこのブログを書くとき、どんなことが起こっているかなとふと思う。まあとりあえず生きていればどうにかなるかなぁ、くらいの気持ちで生きていこうと思う。

絶望と戦い、望みを再構築する - 仕事ときどき女の子

おい、2020年11月の自分、聞いているか。 仕事はない。ないがとりあえず生きてるぞ。

 

一気にものごとが進み、私も一気にものごとを考えた。まず、仕事に対しての熱量がまじでない。私は大したスキルがないし、ビジネス的なテクニックもなく、自分を誇張して見せることに違和感しかないと気付き、それに傷つくわけもなく反省することもちゃんとしようと思うことなかった。

それに、インターネットという場所がもう私にとっての居場所ではなくなってしまった。ここは「嫌で逃げてくる場所」でもないし、ただただ子供の頃から嫌だった「普通の社会」があるなということに気付いた。これはすごく悲しかった。

今のところ、だからどうするのか全然わかんないけど、きっとリアルの私に紐づくアカウントは、社会に揉まれて生きていくことに、ある程度妥協していく必要があるなと感じる。まあそれでいいやと思う。どうせ本名に紐づくアカウントなんて、とても単純化したそれなりにきれいな、コーティングされた私であることに変わりはない。

「にな」の私がいてよかったなと思うのは、混沌とした世界の中にも居場所があるなぁという感覚があることだ(特に鍵垢のツイッターでつながってるみなさんには、まじでそこらへんの人より私のことをよく知ってると思うしソーシャル親戚くらいに思ってます)。それに、になちゃんの周りにはあまり金の匂いがしないので、それがとてもよい。

 

話は変わって、ある心理系資格の養成講座に通っていて、ちょうど半分くらいの講座が終わった。この歳になると、新しいことにチャレンジして失敗と成功を繰り返すことへの慣れがなくなってきているのだが、結構愚直に学ぼうとする自分もいて感心する。出来なくてしんどいときもあるが、一緒に受講している人たちも、うまいなぁと思う人もすごく悩んでたりしているようで、今はそんなゆるい仲間意識を感じられることがよいなと思う。

人の心の内を聴いていくことを学ぶので、受講生それぞれ心のいびつさを目の当たりにしたり私もさらけ出したりする。時にはパンドラの箱も開く。でも、それを非難したり判断する人はいなくて、観察して静かに次に行くような感じ。よく私は「引き出しを開けては閉める」みたいな言葉で表す。

みんなどこかで必ず苦しんでいて、それを抱えながら生きているんだなぁというのをナマモノの感情として目の当たりにして、今の私にとってはそれが逆に落ち着くというか、安心するというか、不思議な気持ちでいる。

傷ついたり悩むとき、自分が大事にしているものを守りきれなかったことが同時に起こっている。だから、守れなかったものがデカいほど生きづらさも比例して増してくる。

いつも引き出しを固く固く閉めておきながら生きていく。ときに開いてしまったり、その開いたものを自分や他人に見られてしまってしんどくなったりするけれど、ときどきは引き出しをそっと開けて、そこにあるものをただ「あ、こんなものがあるなぁ」とだけ思って、そっと閉じるのも大事なことなんだろうと思う。プロの心理職の人はこれを人と一緒にやっているんだなと思う。

 

私は2020年から、今まで自分が歩んできた道を大きくひっくり返そうとしている気がしている。今まで盲信してたことにお別れを告げたり、逆に信じてなかったものを信じてみたい気持ちも湧いてきて、まさに渦中、渦の中でぐるんぐるんしてる感じ。着地点もわからない。

日々悩み、日々それを言語化していく作業をただただ積み上げている時間なんだろうと思う。

絶望と戦い、望みを再構築する

一個前に書いた記事を読んでいたんだけど、仕事をセーブしたいといいつつ、こういうのはコントロールきしれないもんで、ひどい忙しい時期もあったし別の仕事をしたりもしている。

さすがに、5件同時に案件が進行したときは頭がパニックになって、自分でなんの話してるのかわからなくなった。アシスタントちゃんに話をしてても訳わからなすぎて、えーっと…ごめんまじ今の話どの案件のことだっけ…みたいな情けない状態に陥ることもあった。そういう時期もたまにはあるよね〜って今は思えるけど、瞬間的には鬱々としてて、これが数ヶ月続こうもんなら慢性的なストレスを抱えそう、と震えた。

忙しい理由は他にもあって、ある資格を取ろうと人生で一番でかい買い物をした(言っておくが私の「人生で一番でかい買い物」なんて数十万の世界である。)。半年かけて養成講座に通うことにした。で、その課題が結構鬼で、案件5件の同時進行+養成講座の課題って具合だったから忙しい体感が増していたんだろう。

 

あとストレスを抱える理由は、年末が近づくにつれて無言の家族からのプレッシャーがある。カウンセリングを受けて吐き出したら楽にはなったが、家に帰ってこいの言葉、行かないといったときに傷つけられるのは私で、その恐怖はどれだけカウンセリングを受けてもなかなか0にはならない。

なんだかんだ、もう1年半会っていない。一度今年の夏頃、困っていたらお金をあげるからという母親からのメールを無視した。お金を受け取ったら余計に優越感を母親に植え付けられ、私は罪悪感で殺されることを仕組みとして理解しているからだ。父親からのメールも何十通と無視をしているが、この人は相手の気持ちを汲み取る能力がないから、お構いなしに日記を送りつけてくる。

そういう家族なのだ。何も変わらない、変わろうともしない、被害者である私が変わらなければこの遺伝子たちは何も学ばないのだ。私が子供を欲しいと1度も思ったことないのは、生まれたときからこの遺伝子を愛していないからなのかもしれない。

 

少しずつ人の心理システムが育っていく過程なんかを学問として学び始めると、よく歪みがわかる。こうやって学問として、あのとき教えてもらえなかったいろんなことを今更知識として学んでいる滑稽さに笑ってしまうときもある。それは「あのときちゃんと誰かが教えてくれていれば」という絶望との戦いでもあり、望みを自分で再構築する過程でもある。

人は理解出来ないくらい複雑で、どんなに頑張って踏み込んでも氷山の一角しか見えない。でも大丈夫だよって、私は私に言いたいし、誰かにも言いたいし、本当は家族にも言いたいんだと思う。

「私が」心を学ぶということは、自分のルーツである両親の家の歪みを見つけて供養するような意味も含んでいる。

 

次にこのブログを書くとき、どんなことが起こっているかなとふと思う。まあとりあえず生きていればどうにかなるかなぁ、くらいの気持ちで生きていこうと思う。