2024年に残す言葉
どれくらいの人がこのブログを見ているかはわからないけれど、こういう親のもとで過ごすとこういう30代だよ、というのを赤裸々に語っております。普段は楽しく過ごしているので悲観はしないでね。ほんの少しの心の淀みです。
私が36を超え、祖父母の世代がすべてこの世を去るとやはり親世代がおかしなことになってくる。いつか来ると思っていた未来が、ちゃんと来る。
母方の叔母(母の姉)は私に老後の手続きなどをやらせる目論見であることを薄々感じており、何かとあれがわからんこれがわからんと言っては私と会うような約束を取り付ける。終活あれこれの不安を小一時間聞かせたり、何かの節に泣きながら事柄を伝えられたりする。時々小遣いを渡してくる。
正直、子供の頃に叔母と心からの親交があったとはいえない。祖父母の家にいたため泊まりにいったときにいる人ではあるが、叔母は仕事でほとんど家にいなかったし何かを買ってくれたわけでもない。思い出は非常に平坦なものなのだ。
そんな間柄で、心を委ねられることに少々の違和感を感じながらも、その年にならないとわからないこともあるのではと私の良心は思ったりしているが、それにしてももやもやしている。指定の手続きはやれるけれども、心まで疎通はできそうにない。
どうでもいいけど、叔母から聞いたエピソードで、私の母親と話していたときに私と話した云々という世間話をした途端に「なぜ娘と話したのか」と訝しんだという。叔母は「パソコンでわからないことがあって電話して…」と言い訳をしたらしい。
こういうところに「なぜ」がたくさん潜んでいることを、私は30歳になるまでわからなかった。単純に「ただ最近会ってないから心配で電話した」と本音を伝えればいいのに、それを許してくれないのが母親の胸の中である。これを読んでいるあなたは、この独自の気持ちがなくなっていくような感触をわかってくれるだろうか?
毎日が慎重に、どこにあるかわからない地雷を踏まぬように生きていく。閉鎖空間でそれを22年間耐える。22年間も続けたことが、家から出てリセットされることもなく、カウンセリングを受けて異常性に気づくまでずっと地雷を踏まぬよう緊張して生きてきた。東京には、他人には、当時の恋人には、そんな地雷などなかったのに。
時々わからなくなる。私が間違っている気持ちすら、いまだにしてくる。カウンセリングに数年費やし、様々なことを明らかにしたのに、やはり時々、明らかにしたものが間違っている気がしてくる。
でも私は、そういうものを心の後ろの方に押し込めて生きている。時々顔を出してくるが、なだめて抱きしめてまた後ろの方に帰ってもらう。自分の人生、すべてが反面教師で抜け殻みたいに実体がない気がしてくるけど、今日起きたら猫がいて、一緒にごはんを食べ、会社に行き、同僚とどうでもいい話をしていれば、多少は存在している気がするので、そうやってだましだまし生きているのである。
だましだまし生きたって別にいいのである。そうやって図々しく生き抜いて死んでやるのだ、と思いたい2024年末でした。