仕事ときどき女の子

仕事も女の子もがんばらなくなりましたが、豊かに生きてます。

実家に帰ってきてからメキメキと調子がよくなってる

実家に帰ってきて4日経った。

まず東京から実家に帰るまでのこと。実家は、東京出るにはちょっと距離があって、でも出れなくもないような、ビミョーな距離感の立地。両親は、電車に乗れないなら家の車を出すと言ってくれたのだけど、ナビで調べると、両親が運転するにはしんどい道のりだったから断念した。

電車乗るのしんどいな……と思って、帰る日当日までは思い悩んで寝れなくなったりもした。一度味わったパニックの恐怖は、なかなか拭いきれないものなのか。厄介だなあ。

でも、電車は案外ちゃんと乗れた。地元まで一本で帰れる快速電車のグリーン車で帰ったから、それも大きな要因かもしれない。お母さんと喋ってたらあっという間に着いた。数時間電車とか死んじゃうって思ってたけど、楽勝すぎて拍子抜け。

家に着いてから、少しずつだけど食べれるようになったし、吐き気に襲われることも少なくなってきた。まだ一人で外に出るのは怖いけど、お母さんと一緒ならお店に入ることも出来る。家では、出来る範囲で家事を手伝いながら、東京の部屋を引き払うための準備を進めてるかんじ。

病院にも連れてってもらった。まずは胃腸を調べてもらうために消化器科へ。実家の近くに大学病院があって、そこに行ってきた。大学病院とだけあって、すごい人だしすごい待ち時間でびっくりしたけど、無事年内に胃カメラの予約が出来た。すごく嫌だけど。精神科はまだ行けてない。同じ病院内にあるから、そこでもいいかなと思ってる。

 

こうして落ち着きを取り戻しつつあるのだけど、この一連の体の不調はやっぱり、ストレスから来てたものだと高確率で思う。正社員を辞めて、派遣になって、順調だった仕事が不安定で、生活費も十分には稼げなくて…こんな状態じゃ、メンタルもグラグラするわな。子供のころから、ストレス耐性がひとつもないような人間だったしな。うん。もうしょーがない。お手上げ!みたいな気分だから、腹くくって次の道を探していくしかないんだな。

今年もいろいろあったなーって思う。休職してた会社辞めて、派遣で仕事やって、地元に戻るっていうね。想像もしてなかった未来だな!笑 来年もどーなることやら!

世界で一番手のかからない、世界で一番世話のやける子。

あれから、あれよあれよという間に体調は悪化して、外に出ることすらままならなくて、ちょっと人と会うだけでも呼吸が荒れる+吐き気がうねうねと自分の中を駆け巡る日々を過ごしていた。どんどん食べれなくなって、うどんの一口二口くらいで気分が悪くなったりしてた。

仕事はもちろんなくなった。退職。一週間ごとに行けそうか確認を入れられて、それがいいことなのかプレッシャーなのかももう考える余裕もなくて、数回行ったところで、次は退職ですねと宣告されて、そのまま体調もよくならなく、退職の運びとなりました。派遣社員ともなると、そりゃ休職とかもないわな。特に不満もないし、なんかもう仕事とかまじでどうでもいい…ってくらい、直近の仕事には負の感情しか持ち合わせてなかった。

 

ちょっと体調を悪くしているうちに、いろんなものを失って、もはやお金もないし仕事もない。大切な人も東京にはいない。あれれ?わたしなんでここにいるんだっけ??みたいな気分になってしまった。

それで親友に相談した。そしたら、弱音でもなんでもいいから帰ってきなよ!ってかえってきた。弱いところ突かれたな参ったなと思いながら、泣いてしまった。家近いといつでも話聴いてあげられるじゃんよ!って。どこにいても帰るべきは地元なのかな、とも思った。

 

そんでもって、いよいよ体調のことは隠しておけないってことで、家族にも連絡して状況を伝えた。そしたら後日、次の休みそっち行くから!と言われ家族3人が1Kの部屋に押しかけてきた。家でとれたみかんやら、近くのスーパーで大量に食べ物飲み物を持ってきてくれた。ありがたい。

でも、ご飯食べてたらやっぱり具合悪くなっちゃって、家族が来てる中でずっと吐き気と戦うことになって、トイレに篭って出られなくなった。そんなわたしを見かねて、救急病院に担ぎ込まれた。とはいえ、実際吐いてないし、食べて時間が経ったら楽になったから、着いた頃には急病人というより元気ない人になってて…お医者さんには、はあ?みたいな態度で出迎えられて、全然救急じゃないね!って言われてクスリだけ貰って帰ってきた。(申し訳ないのだけど、本人はろくに食べてないしフラフラで死にそうだったから怒らないでほしかった…)

そんなフラフラなわたしを見ちゃったら、お父さんもお母さんも心配しちゃって、しょうがない。お父さんは、絶対直接言わないけど、一刻も早く家に帰ってこいと躍起になってる。電車に乗れないなら車出すと言ってくれてる。お母さんは、また家に来てくれて、区役所の手続きについてきてくれた。区役所でもダウンしてしまったから、もし一人で行ってたらと思うとこわい。

 

結局、最後に頼れるのは家族なんだなあって、すごく実感した。わかってても、自分でどーにかなっちゃうことの方が多いからときどき忘れちゃうんだけどさ。というか、そういう選択ばっかり小さい頃からしてきたから、どう家族に救いを求めればいいかよくわかんないまま大人になっちゃったんだよね。ずっと、周りの大人に手のかからない子だねって言われて育ってきたけど、こんな頼りベタじゃ世話が焼けてしょーがないな…

今後は、直近病院行って検査したり区役所のまだ終わってない手続き済ませたりするんだけど、それ終わったらいったん実家に帰ると思う。生活を立て直して、体も治してから、自立した生活をまた送れるようにする。でも多分、東京には戻らないかも。

一生雨に濡れる事のない人なんているのかな。

天候の不安定さと比例して、わたしの脳みそも不安定になっていく。

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病院、まだ行けてない。
行けてないのも、いろいろ理由がある。

いつも行ってるところは自宅からそれなりに電車に乗らなきゃいけない。
初めて行ったときは、そのときいた会社と自宅との間くらいでちょうどいいと思ってたから、
ここにしたんだけけど、会社も辞めたし家も引っ越した今は、小旅行ってかんじ。
でも先生の治療方針には賛成だったからずっとここに通ってた。

でも、電車にまともに乗れないから通えなくなった。
電車でちょっとの距離なら頑張れるかもだし、タクってもよいのだけど、
40分揺られるのはちょっとつらくて。
コンビニすら5分といられないのに。

それで、家の近くの病院を探すことにした。
なぜか家の周りには、心療内科とか精神科がやたらあるの。
しかも、その半分は入院おっけーな大きい病院。

個人的には、小さなクリニックでいいんだけどなあと思っても…
大きい病院の系列の診療所がほとんどで。
他のクリニックは専門が狭かったり、カウンセリングがなかったり、とかだった。

とりあえず、家から近い大きい病院に行くと決めた。
新しい病院みたいで、内装とかサービスの気配りも出来てそう…な気がした。
行かなきゃわかんないよね、こんなのさ。

今時の病院は相談窓口というものがある。
初診の前に相談出来るみたい。で、今の状況を相談した。
そしたら、今の病院では紹介状を取ってもらって、引き継ぎながら治療しますと。
ふむふむ。

ここまで2週間かかった笑
今日は紹介状もらえるかを今の病院に聞いた。
OKだったから、届いたら病院に行く!

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仕事はなくなった。
条件変えてでも来てくださいと言われていたけど、
日常生活すらろくにちゃんと送れないのに、通勤するなんて出来ないじゃない。
営業さん、あんまり汲み取ってくれなくて、めんどくさいこともたくさんあった。

わたしは、一年前のそーうつの診断を受けたときに、一度死んだと思ってる。
あれから生活が変わってしまった。
今まで出来てたことが出来なくなった。
頑張るってなんだろうって、生まれてから積み上げてきた感覚的な度合いがわからなくなった。

仕事が好きな気持ちは変わらないけど、
もう自分がやりたい仕事を全力ではやれないんだろうな、と思う。
Webっていうものに対して、どういう関わり方をこれからしていこうか、
またひとつ、わからなくなる。

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そろそろ、地元のほう帰ろうかとも思う。
地元じゃなくて、地元のほう。
地元は本当に帰りたくなくて笑
高校生のときとかよく遊んでた都心のほう。

帰って何が変わるのかわからないし、仕事もないんだけど、
慣れ親しんだ街っていうのは体に染み付いているんじゃないかと思う。
心が弱ってるから余計にさ。

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東京に出てきたことに対した理由はない。
実家から出たかっただけで、それさえクリアになればよかった。
そこに東京があったから、ってかんじ。

初めて住んだ街は元彼との思い出の街でもあるから、
もうそこにはいたくない。
わたしのと思い出の街で、新しい彼女と新しい思い出を作っていると思うと、
潔くて褒めたくなるわ。皮肉じゃなくてね。

今住んでるところもなんにも思い入れがない。
てゆーか住みだしてまだ数ヶ月しか経ってないし。
てゆーか東京に来て5年しか経ってないのに3回も引っ越ししてる…
そりゃなんの思い入れもないわ。

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元気ないときはMiyavi聴く。優しいうた。

雅-galyuu-流

雅-galyuu-流

病院にも仕事にも、買物にも行けない!

仕事休みます宣言をしてから1週間半経った。

前半は結構余裕だった。家にいれば普通に元気にしてた。こんなんだし、次の仕事はフリーランスでもやろっかな~て楽しく考えられるくらい余裕ぶっこいてた。

でもそれはあまりに楽観的すぎる話で、郵便局に郵便出しに行くとか、スーパー・コンビニに買物に行くとかまで、まともに出来なくなってることに、徐々に気づいた。こんなんだから、電車にも乗れないしいつもの病院にも行けないし、でもこの状況をどうにかしなきゃいけないんだけど何も出来ない。

病院には電話した。でも来ないことには何も出来ないからとにかく来てくださいとのこと。。クスリはなんとか貰えた。

とりあえず、直近は病院に行けるようにどうにかしなきゃ。こうなったら、別の病院でもいいし。と思ってる。でもどうやって?そこが見つからない。

Hey my friends

ときどき妄想するんだけど。

フリーランスになって、毎日家かカフェで仕事。
たまにクライアント先に行っておしゃれなオフィスで打ち合わせ。
ときどき株とFXで儲かって、ボーナス的に贅沢できる生活。
いいねいいね~~

どこかに一定の場所に通わない生活をやろうと思えばやれるのが、大人の特権よね。
子供は義務教育を受けに「通学」をしなきゃいけないからねえ。

でもね、これがつらくてつらすぎる。人生最初の試練にしてはハードル高すぎる。

子供の頃は周りの人間全部が正気の沙汰じゃねえとまじで思ってた。
友達も先生も、両親も。
それでもやっていけたのは、自分が周りに合わせることが当たり前だと思ってたから。
周りに合わせてれば傷つかないし。
子供の頃のほうが、だいぶくたびれてたよね。

でもそのつまんない歯車が時々狂うときがある。
友達の出現。

一応学校にいるとさ、スクールカーストに則ってグループみたいなもの出来るじゃない。
わたしも一応、下層のところあたりに属してはいるんだけど、
積極的に誰かに関わろうとはしなかったから、みんなを友達とは思ってなかった。
そんな少女になちゃんの心の鉄壁を溶かしにかかってきた人間が友達になれるのだ(失礼)

地元で唯一の友達だし、むしろ親友だと思う人が一人だけいる。
小学校のとき、クラス替えで友達になってから、
わたしは何度もこの人に傷ついて、何度も救われてる。

一回記事にもしてる。
ninatanpe.hatenablog.com

クラス替えで一緒のクラスになったのだけど、
このクラス替えの前、わたしは女の子何人かにいじめられてたことがあった。
だからもう学校にはうんざりしてた。そんなときに仲良くなった友達。

席替えで席が近くなって、そこから徐々に仲良くなっていった。
あと、何度か席替えしてもいっつも近くの席になるの。
クラスに一組しかない女の子同士が隣になる席を勝ち取ったこともある。
それでよく家にも来るようになって、いつも一人で作ってたホームページ作りとか共有した。
(その子はなぜか初代FOMAのケータイを持ってて、iモードで見れるようなサイトを作ったりした笑)

でも中学になってからは話すこともなくなっちゃった。
お互い思春期だったし、衝突することも多くなって、
ケンカして1年近く話ししなかった。

それから、わたしはかつての小学生時代みたいに、誰とも仲良くしなくなった。
誰かとテキトーに仲良くするのもやめて、学校では常に孤立してた。
休み時間とか、ずっと本読んでるかんじで。

そんな暗い時間を過ごしていたんだけど、
ある日とつぜん、通学路に友達が立ってた。
そしたら話かけてきて、今までいろいろごめんねって言ってきた。
人生でこんなびっくりしたのはじめてってくらい、おったまげた。
好きな子に告白された、くらいの衝撃だった。
本当は、もう暗い日々を過ごさなくていいのかって安堵した。
その日は、ケンカしてた日々を埋めるようにダラダラ話しながら登校して、遅刻して一緒に怒られた。
数少ない青春の1ページだ…

高校になっても、大学にいっても、変わらずいい距離感で遊んでた。
彼氏が出来て、相当なラブラブっぷりをわざわざうちに来て力説しにきた翌日に、
別れたっていってまた家におしかけて号泣してったりとか…笑
楽しい話題をもってきては一緒に突っ込んで大笑いする仲。
ときどきお互いが下向きになると、すっと戻してくれるかんじ。

今は休みが合わなくて遊ぶ機会もないから、
美容師さんになった友達のお店に遊びにいって世間話するかんじ。
元旦に、よく学生のときいったお店でダラダラご飯たべるくらい。
それでも、切れることがない縁なんだよね。
結婚してもこんなかんじでいたいなあ。(2人ともその予定がない)

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下妻物語、映画の中で一番好き。

桃子(深田恭子)と遊んでることに目をつけられて、
暴走族に呼び出されたイチコ(土屋アンナ)が総長に言い放つ台詞。

「ダチなんかじゃねえよ
こいつはよ、桃子はいっつも一人で立ってんだよ
自分が決めたルールだけを信じてよ
群れなきゃ走れねえあんたらとは格が違うんだボケ!
抜けさせてもらうよ あたいも一人になる
アイツみたいに」

昔っから、人生のルールは「人と群れないこと」なのだ。
学生時代はとくにデリケートになってたな。

劇中で桃子はこんなこと言ってて。

「人間は一人なの
一人で生まれて一人で考えて一人で死んでいくの
人は一人じゃ生きられないなんて
だったら私は人じゃなくていい ミジンコでいい
寄り添わなきゃ生きられない人間よりもずっとずっと自立してるもの」

この台詞大好きなんだけど笑

わたしが、いろんなこと抱え込んじゃう性格なのも、
裏を返せばこういう考えが色濃い。
誰かに話すことで、共有関係になるのがこわくなるから。

でも、周りの人たちってそんなヤワな人たちじゃない。
話をしても、ちゃんと自立させてくれるというか。
うまくいえないけど。
なんかそんな気がするから、また仕事行けなくなったこともちょいちょい話してる。

下妻物語 スタンダード・エディション [DVD]

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桃の花が咲く窓の外に気づかないpeople

ブログのテーマ変えたよ。
サブのブログだからただ記事書くだけにしてたけど、
来てくれた人が他の記事も読んでみたいと思って実行できるように、
カラムを右に持ってきてファーストビューで見れるようにしたよ。
つまり、もっと人を呼び込もうとしているよ笑

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仕事行けなくなってちょうど1週間経った。
病院行けなくて、ちょっと外出るだけでもこわい。

あれれ??これやばくね??ねえやばくね???
って思うんだけど、心のどっかで余裕かましてるかんじ。
余裕なのか、考えたら死ぬくらいに思って心に「考えないストッパー」があるのか、
それは誰にもわからないけど、とにかく普通にしてればとても元気なの。
家にいれば全然仕事の意欲が湧くし。

そうそう。休職したときと違うのは、わたし自体は元気なこと。
たまに先行き不安につきゆーうつになるときもあるんだけど、
あのときほどつらくはならない。それに、不安の落とし穴は相当浅い。
(誰にも言ってないけど、あのときつらかったのは仕事だけのせいじゃないと思う。
イケナイ恋のせいでもある。終わった今は思い出しても少し嫌な気分になるくらいで。)

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話は変わって、先月までReiちゃんの「cocoa」って曲が通勤ソングでしたん。
懐かしいアメリカンなかんじで聴きやすい。ギターテクもすごい。

cocoa」はスマホばっかり見てる人たちを皮肉ってる歌詞なんだけど、
一番の歌詞で満員電車に乗ってる人たちをチクッとやってる。

おしくらまんじゅうの満員電車
Looking out the window
桃の花が咲く窓の外に気づかないpeople
Everyone's in love with their iPhone

心当たりありすぎでしょ~~
みたいな歌詞よね。自分も周りもさ。

前、大学の友だちと満員電車の話になったとき、
「ふと前の列のやつらみたら全員スマホいじってて、
すっごい不気味で気持ち悪くなってさ~、
でも自分もその一員だって時間差で気づいて、スマホしまったよね~」
って言っててすごい笑った。あるある~みたいな笑

今日までの会社員でつらかったこと総合2位くらいが電車。
ってくらいあの空間はこわい。
人間がいっぱいいる現実がショックなのかな笑
毎日毎朝ショックが止まらない!
背が小さいから、囲まれるとまじで恐怖だし酸素ないのよ。

ただ生きたいだけなのに、生きるだけのお金を稼ぎたいだけなのに、
毎朝あんなつらい思いをしなきゃいけないのは、しんどいのよ。

だから、ラッシュと決別できる生活を手に入れたら素敵なことよね。

ORB

ORB

次の仕事に移ったと思ったら1ヶ月もしないうちに拒絶し始めた話

前の仕事を辞めるっていったところから書いてなかった。

ninatanpe.hatenablog.com

前の仕事は、記事の通り9月は週3勤務を済ませて終わらせた(おかげで今月のお給料じゃ暮らしていけない)。しかも、現場は忙しかったのに全然仕事を入れてもらえなくて、もどかしかったんだけど、最後の方はもうめんどくさくなっちゃったよね。そうやって、少しずつ少しずつ落ちていったモチベーションって、相当なパワーがどこからかかからない限り下がる一方よね。

 

で、次の職場。今いるところの話。

超有名なIT企業のあるサービスでディレクションをすることになった。時給は変わらず。週4勤務。

やっぱり、業界内で有名な企業だとテンションあがる。反射的に。ミーハー心もうずくし笑。どんな開発環境でどんなオフィスなのかな、とか考えるだけでワクワクする。受かったときは心の中でガッツポーズ。いや、もう胴上げくらいの嬉しさだった。

でもそのワクワクは長続きしなかった。最初の1週間、パソコンのセットアップしかやることがなくて、苦痛になるほど暇だった。2日で9割くらいは終わったけど、他の人はもっとかかるんだけどね~とお世辞なのか嫌味なのかよくわかんないことを言われつつ、次の仕事をくれる人はいなかった。

あと、ちょっとややこしいのが、契約上は派遣元の社員から仕事をもらうような雇用形態。でも実際は派遣先のチームリーダーが口頭で言って、エビデンス的にツールに残す、って感じだけど。だから、派遣元にも派遣先にも気を遣わなきゃいけなくて、めんどくさい。今回も、どっちにも声かけても「今週はもう仕事ない」の一点張りで、ずーっと社内報眺めて1週間が終わった。

次の1週間。正直何をしたか全然覚えてない…。でもまだ業務には入ってなかったと思う。業務上のデータを眺めるくらいしかやってなかった。

そもそも、「あるサービスのディレクション」のサービスは既存のものだと聞いていたけど、いざチームに入ってみたら、新規のサービスのディレクションのようだった。しかも、まだキックオフをやったばっかりくらいの。ステータス的には、仕様が半分くらい決まっていて、これからワイヤーを仕上げていく、ってところ。

ああ、そんなかんじか…と悟った。しかし、こんなに持て余しているのに、資料を眺めるしか仕事がない。仕様決めには入れてもらえないし、派遣元に相談しても「いいじゃないですか少しずつですよ」とか言われて取り合ってもらえない。詰んだ。

そしてまた1週間。仕事は入った。決まってきた仕様をワイヤーに起こす。いいじゃないか!しかし、どれも30分くらいで終わるもの。1日のあと7.5時間を、またデータを眺めるしかない。これを週4。つらい。19時の終業時間、1分1秒狂わず席を立つ毎日。

それを煽るように、本当に人と話すことがない。派遣先の社員はみんな、バラバラの席に座るオフィスのしくみになっているし、同じ事業の派遣の人と一緒に仕事をすることもないし、中には挨拶すらしてくれない人もいる。他のフロアにもたくさんいるみたいだけど、関わりはなし。唯一同じチームの人は、気を遣って話かけてくれるけど、ほとんどチャット。

 

そんなかんじで、「ある意味」つらい環境に身を置いてしまった。

問題は、最近は体調にまで響いてきたこと。響いたどころではなく、そろそろ派遣元あたりからいろいろ言われそう。

半月くらい経ったころ、お昼食べた後具合が悪くなって早退した。その早退にもいろいろあって…、早退するためのフローがたくさんあって、そのフローの中で派遣先と派遣元の社員にアプローチしなきゃいけないんだけど、誰にも確認が取れなくて、結構死にそうな思いのまま1時間くらい経って、結局違う社員に確認を取って帰れた。で、次出社したとき、チャットとメールでフローが違うだの席外しててしょうがないだの言われて、ため息。じゃあそうならないフローを考えろ!って感じ。でも言う義理もないし、平謝り。

このとき2日休んだ。胃の調子が悪かったんだけど、元々そういう体質だからと思って普通にしてた。でも、最近はちょっと違う。会社に行く電車でつらくなる。がんばって会社行くとよくなる。お腹すくけどお昼ごはんを目の前にすると食べれない。食べると調子悪くなる。家に帰るとお腹空いて普通に食べられる。こんなかんじ。

昨日まで、つらくても休みを糧にがんばれた。でも今日はダメだった。電車の中でパニックになって、過呼吸気味になって震えてきた。おまけに吐きそうだった。頭の中大混乱で、やばいって反射的に思ったところで、ちょうどドアが開いて外に出れた。急いでトイレに駆け込んで深呼吸をしてたら治ったからよかった。あのまま乗ってたらぶっ倒れてたかもしれないし。

 

これが今日までのハイライトです!とほほ。

 

帰り道、久しぶりに泣きそうになった。また働けないのかなって思ったら、なにもかもが否定されたような気持ちになった。でも、ちゃんと考えてみたら、派遣で仕事をしてきて仕事自体が出来ることは証明できたんだから、「どう働くか」を自分にフィットさせていけばいいんじゃないかと。改めて考えたほうがいいなって思った。

とりあえず「ラッシュの電車に乗ることのない」働き方が出来ればいいなって思った。さてどうしよう…