仕事ときどき女の子

仕事も女の子もがんばらなくなりましたが、豊かに生きてます。

人生はフルーツバスケット

あけましておめでとうございます!!

…と、一歩遅れてご挨拶。

でも、働いてないと、気持ちを新たに、とかそういうものも湧いてこない。周りのSNSの投稿を見渡せば、今年はどうしたいとか今日から仕事初めだとか、タイムラインに流れてくるわけですよ。(特にリアルアカウント)それを見ながら、なんとなく気分の雲行きが怪しくなって、慌ててアプリを閉じるのだ。

他人にとって普通なことがわたしの普通じゃない。

いろいろありすぎて自分の力だけじゃ手に負えない人生だから、他人とは比べようがない。「誰かと比較出来ない」って思うことは本当は勇気がいることなんだろうな、とも思う。

 

今年、出来るようにならねばならぬ事象が山積している。でも、目標を立てるのは好きじゃない。でもゆるーいのをいくつか挙げてみようかな。

  1. ひとりで東京に行けるようになる
  2. 外食でお腹いっぱい食べる
  3. 貯金に回せる余裕があるくらいの額の仕事をする
  4. 車で近場までいけるようにする

1と2は、またカウンセリングの記事書くときに詳しく書きたいけど、年末年始の宿題で短期・中期・長期で目標を出すっていうのがあって、考えた末これを長期目標にした。あまり急がず今年中には克服したいところ。

3は、今年中でなくてもまた一人暮らししたいからそれに向けて貯めたい。やっぱり実家にいつまでもいれない気がしてる。

4は車社会な地元では必須だと感じてるから。どこいくにも、誰を迎えに行くにも、運転出来ないと何も出来ない。行動範囲を増やすためにも必要。

あと恋愛は…それどころではないから保留。自分のことでいっぱいいっぱいだし。それに出会う場所がないしな…

ゲームは超がんばりたいね。やりたいゲームをやり尽くしたい。とりあえずポケモン龍が如く、様子をみてバイオ7をやります。(あくまで決定事項)

 

そうそう。最近、「フルーツバスケット」レンタルして読んでる。

こんなお話よ。

本田透は都立海原高校に通う女子高生。唯一の家族だった母親を事故で亡くし、小山で一人テント暮らしをしていた。ところがそのテントを張った場所は、同級生の草摩由希の一族が所有する土地だった。何とか交渉し敷地内でのテント暮らしを許可してもらおうとしていた時、土砂崩れでテントも失ってしまい、それがきっかけで由希が暮らす同じ一族の草摩紫呉の家に居候することに。 居候初日、透は草摩一族の秘密を知ってしまう。彼らは代々十二支の物の怪憑きで、異性に抱きつかれると憑かれた獣に変身してしまうという体質だったのだ。

 怪憑きの一族の当主に十二支の人たちや関係者は支配されているんだけど、主人公の透くんと絆を深めていくうちに心が解放されていく様が、ほっこりポイント。透くんの友達もいいキャラ。

みんな、それぞれ物の怪憑きによって家族との確執だったり物の怪憑き同士の関わり合いの葛藤だったりを抱えて、もがいてもがいてぐちゃぐちゃになって、それでも衝突を繰り返して、少しずつ素直になっていくんだよね。それが現代社会(?)に生きるわたしにも通じるなあとすごく思う。

今週のお題「2017年にやりたいこと」

嘔吐恐怖とカウンセリング

晴れて地元民になりました。

実家に戻ってから、引っ越しするために両親と協力して東京まで電車に乗った。実家に戻ってよくなってきたとはいえ、密室とか人ゴミはまだまだダメな中。出来ることなら誰かやってきて!!って言いたいところだけど、自分ごとだからがんばった。自分、よくやった。

 

本題ですが…カウンセリングも始まりました。

カウンセリングは、まず嘔吐恐怖から治していこうということと、今年中にヒアリング的なやつを終わらせようってことで、年内全3回その時間に充てた。

最初のほうはちょっと具合悪い中で聞いてたから、忘れちゃった部分もあるけど、覚えてる限りのことを書きます。

内容はこんなかんじ。

  • 症例の特定のためのテスト

パニック障害、社交不安障害、嘔吐恐怖、うつ、強迫性障害に当てはまるかのテスト。一概にはいえないけど、だいたいが症状に当てはまるかどうかで確認する。テストによっては症状の強さも測る。あとは、パニック障害ではそうだったけど、「この1ヶ月にこんな症状が出たことはどれくらいあるか?どんな気分から起きたか?」みたいなことも聞かれたかな。

わたしの場合は、この前者4つに当てはまった。特に社交不安障害は強くて、「中高度」で点数は76点/100点中だった。わお…

  • 不安や恐怖を感じる瞬間のヒアリング

どんなところで不安や恐怖を感じるか、そのときどういう対策を取ろうとするか、嫌だと思うときどんなことを考えているか、を聞かれた。

これ、前者2つはすぐ言えるんだけど、「嫌だと思うときどんなことを考えているか」がなかなか言葉に出来ない。でも思ったことを少しずつ言葉にしてみると、見えてくるものがあって、わたしは「人に迷惑かけたくない」「人に恥ずかしい姿を見られたくない」とかを言った。その根底を知るために、子供の時の自分のエピソードとくっつけると、親に厳しくされたとか、そういうところに紐付いているんじゃないかってところにたどり着いた。

  • 嘔吐恐怖はパニック障害からくるものか?社交不安障害からくるものか?

パニック障害と社交不安障害のどちらが嘔吐恐怖の原因になっているのか、この特定によって少し治療方針が異なるらしい。どっちも強い結果が出ちゃってるから、過去のエピソードとか、嘔吐恐怖のときにとる対策から、よく見極める必要があるみたい。

まだ断定は出来ないけど、社交不安障害が強いかもしれないとのこと。不安になったとき考えることが「他人」っていうのがミソ(?)みたい。

 

そんなかんじ。

嘔吐恐怖に関するデータをもらったのだけど、嘔吐恐怖持ちの40%がパニック障害を併発してて、発症の平均年齢は17歳(パニック障害は26歳だから9年も早い)。

で、だいたいの人は、日常生活で苦痛を感じるもののそのままやり過ごして生きていくんだって。だから疾患期間も平均17年っていうデータがある。確かに、普通に過ごしていれば、大人になったら自己責任の名の下、いくらでも回避の方法があるし、病院行ったりまでしないだろうなあ。

 

来年からは、少しずつ外に出る練習とかもやるみたい。まだ全然一人じゃ外出れないから、少しずつ慣れていきたいものだな。

嘔吐恐怖と胃カメラ

前の記事から、予定通り胃カメラをやった。

結論から言うと、嘔吐恐怖をこじらせてる状態で胃カメラするなんて、ただの拷問だった。嫌で仕方なくて、始まる一週間前から「やりたくない~~~」って、事ある度にぼやいてた。母親に「いい加減腹くくりなさい!」とどやされてもなお腹をくくれなくて当日を迎えてしまった。

とはいえ、5年くらい前にも胃カメラやったことがあったから(このときも今みたいな状態で慢性胃炎だった)、大丈夫だろうとは思った。そのときは、つらいことは要所々々だけ感じていてそれ以外は普通だったと記憶している。だから今回もすぐ終わるさ!となかば強引に自分を正した。

病院の内視鏡室に行って、問診票を書き順番を待つ。名前を呼ばれて、中の待合室へ。座ってる人、みんなおじさん、おばさん。看護師さんに白濁の液体を渡されて、普通に飲んでる。白濁の液体は、お腹の中を膨らますやつらしい。そう看護師さんから説明があって、わたしにも手渡される。「ああ…これ飲まなきゃいけない…飲もう…飲もう…飲も(ry」と、紙コップ片手に心で念仏を唱えていても、一向に体が動かない。フリーズしていると、看護師さんから、「ダメそう?」と声をかけられ、今嘔吐恐怖で治療中なんですと伝えて、「じゃあいいわ。カメラのとき直接お腹に空気入れるから」ということになった。自分があまりに情けなくなって、少し泣いた。

次に、これは外せないから頑張ってと言われて、口の中に注射で麻酔を注入される。上を向いて、口に入れたまま3分間。つらい。マジでつらい。おじさん、おばさんが菩薩のように見える。でも口全体が痺れてきたら、なんかどうでもよくなった。3分過ぎて、魔の胃カメラへ…

名前を呼ばれて、検査室へ。看護師さんから「喉通るときはつらいけど、力抜きましょう。つばを飲み込むと苦しいから、垂らしちゃってください。」と注意があった。ここまできてもまだ腹くくれなくて、むしろ鼻からのやつとか寝てる間にやるやつとかを、真剣に病院に相談すべきだったと後悔した。

ひどく落ち込んできたところで医者登場。無駄に若い。こりゃ多分研修医か新人さんだな!?と思って不安になってきた。でもこの人に身を委ねるしかないと思いながら、マウスピースを咥えさせられた。カメラ入りますね~と言われながら、少しずつぐぐっと入ってく。喉のところに入って、体が拒否反応モードになってく。ゲーってかんじが始まる。看護師さんが「はいゆっくり鼻から吸って口からはきましょう!」と励ましてくれる。でもわたしパニック気味で、呼吸が全然出来ない。時間が経っても、ゲーってかんじと拒否反応モードのパターンは青で(?)喉を過ぎたらちょっと楽になるとか言われたけど、全然楽じゃなくて、もう顔のどっから出た液体なのかわからないくらいめちゃくちゃな状態だった。それで目の前には若い男がいるだろ?ただの拷問、というか人間の尊厳をけがされた気分だ!!

終わってから放心状態。胃の中こねくりまわされた感触が残ってる。顔もぐちゃぐちゃ。おまけにメガネ忘れて帰っちゃったし!今度は絶対口からのやつやらないし、胃は大事にしようと強く誓った1日だった。

結果の詳細は後日聞くけど、ひとまず特段の異常はないとのこと。食道と胃の間がゆるいから胸焼けとかにつながってるんじゃないか?とも。異常がないとわかったことで、少し安心した。大変だったけど、有意義であったことに変わりはないな!

カウンセリングのことも書きたかったけど、結構語ってしまったからまた今度。

落としてもないスマホの「拾得のお知らせ」が届いた話

最近起こった謎の出来事。スマホばっちり手元にあるのに、「電話機の拾得のお知らせ」が届いた。びっくらこいたので、たまにはそんな話でもしようかなと思う。

見に覚えのない「電話機の拾得のお知らせ」がdocomoから届く

知らせは突然、手紙で来た。ドコモから、「あなたの電話機が警察に届けられてるから取りに行け」という旨の内容だった。しっかり自回線の電話番号が書いてある。

その他にも、製造番号というものと保管している警察署なんかも書いてあった。

製造番号は、iPhoneの「設定」で確認が出来るから、確認してみたけど、一致しない。もう使ってないiPhoneも調べたけど、一致せず。

警察署は行ったことがない場所。管轄地域も一応確認したけど、一度も行ったことがない。

もしかしたら、過去に売ったことがあるスマホに端末情報が残っていたのかもしれない?確かに、数年前ソフマップAndroidを売ったことがある。それが悪用などされたのだろうか?知らない間に変な請求とかされてたのかな?と考え始めたらキリがないくらい、不安は募る。。

警察のサイトには、拾得物がネットで確認できるサービスがある。そこでも調べてみたけど、心当たりのあるスマホは出てこなかった。

docomoと警察に電話!

手紙に書いてあることから推測できることや調べられることは調べた。でももう埒が明かない、何かあると怖い。ということで、早速ドコモと警察に電話。

ドコモは、紛失の場合に自動音声につながずオペレータにすぐつながる。事情を説明したところ、確かに警察から連絡が来て、わたしのスマホだと紐付けているとのこと。それ以上のことは、今すぐ回答できないから調査して、休み明けに連絡をするとのこと。(電話したのが土曜日だったから、2日後に。)

はい、そして警察。土曜だったから担当の係がいないのか、横柄な態度のおっちゃんが出る。

「令状がないから何も調べられないし教えられない」「新手の詐欺とかじゃないんですか~?」(なぜ疑問形……そっちはプロだろ!)「今日休日だから周りに誰もいなくてわかんないな」と、それはそれはご丁寧なクソ対応をしてくれました。

docomoからコールバック!余計に謎が深まる調査結果が…

月曜。ドコモから調査結果をもらった。

  • 機種は「Xperiaの白」。それ以上は追えない。
  • 落とし物のスマホは、既に持ち主に返されたと警察からの連絡があった。
  • SIMカードと機種は対だから、1つの番号を2機種が使えない。

機種は、Xperiaは持っているけど色は違うし、東京の部屋に置いてある。つまり、わたしが持っていたことはない。売ったスマホもこの機種ではない。

もう持ち主に返されたのも少しドキッとした。身分とスマホを一致されるにはドコモからの手紙が必要なんじゃないか?と思うと、わたしに成りすましている可能性も出てくる。

ここまでくるとドコモの人も信じられなくなる。。SIMカードと機種の話も、いくらでも抜け道なんかあるんじゃないの?!と冷静さを失い始めてる自分がいた。

ドコモで調べられるのはここまでとのことで、疑問はふつふつと湧いてくるけど、もう一回ダメ元で警察に電話してみることにした。

警察に再度電話。ついに真相にたどり着く?!

まためんどくさい人だったらやだなと思いつつ、平日だから理解のある人がいてくれるだとうと信じで電話。それはビンゴで、今回は拾得物を管理する係の人につながった。

No.から状況を調べてくれた。ドコモの人の言うとおり、スマホは持ち主に返されていた。返した経緯としては、届けられてから、ドコモに機種の問い合わせをして、そのあとすぐに持ち主から届け出が出されたから、本人確認をして持っていったらしい。そのとき、スマホの暗証番号をすぐ解除出来たから、本人とみなして返したとのこと。

係の人は、よく話を聞いてくれた上で、「もしかしたら、製造番号をドコモの人に伝えるときに、間違った番号を教えてしまったのかもしれません」と言っていた。なんだって?!製造番号はゼロとかオーとかごっちゃまぜの場合もあって、間違った番号がわたしの機種と繋がって連絡がいってしまったのかも、とのこと。

あー、なんかその可能性高そうだなー。とは思う。でも憶測の域から出そうにない。もうこれ以上調べようがない。出来ることといえば、念のために変な請求などこないか監視することかな。

スマホって財布より落とすのいやだなって思う

今回、こうやって焦ったおかげで、遠隔でデータ削除するには?とかもしものときドコモのどこに電話すればいい?とかを調べることができた。

改めて思うけど、スマホって個人情報にプライベートなやつに決済機能までついてる。こりゃうかうか落とせないな、と。財布はカードとか保険証とか止めたらそれでどうにかなりそうだけど、スマホはあれこれ機能を止めても、ネットワークであれこれつながっていたりで、しらみつぶしみたいになりそうな予感。こわい。

今回の一件、着地点はふわっとしちゃったけど、とりあえずは何事もない。もし、いやいやこれやばいやつだよ!とかあれば教えていただきたい…

もう解き放たれたいんだ

実家で無職している。

        • -

ゆっくり流れる時間の中で、特に何をするでもないとき、
2人の人間を思い出す。

        • -

1人は元カレ。
実家が近いのだ。出会って数年はここらへんで過ごしていたし、
ここにいると、必然的に思い出す。
しょうがない。
それに、7年も一緒にいて、気がついたらもう手の届かないところにいってしまった。

もう、なんか、記憶の中の経緯があやふやになる。
だから、元カレに彼女が出来たことをどこかでまだ飲み込めない。
でももうわたしの生活に彼はいないことは十分理解できているし、
妙な期待もひとつもない。

体調を崩したのも、そのことを聞いた直後だったし、
自分でもわからないところで傷ついていたのかな、とも思う。

彼は、わたしがいないことを乗り越えてしまったんだなあ。
そう思うと、なんとも言えない気持ちになる。

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もう1人はイケナイ恋をしていた人。
久々の躁状態を加速させた人でもある。

ときどき、いろいろ、思い出す。
楽しかったこと、悲しかったこと、一人で泣いたこと、とか。
楽しかったけど、やっぱりさみしい時間のほうが長く感じた。

多分もう、こんな無茶な恋はしないと思う。
でも、恋にブレーキをかけられるんだろうか。
少しずつ、ハードルを乗り越えた恋はなかなか戻れない。
…って感じた恋だった。

きっと今頃、幸せにやってるんだろうと思うけど、
いつも心のどこかがぽっかり空いてるような、そんな風にわたしには映ってた。
世間的には何もかもを手にしたようにみえても、
本人は満足してなかったんじゃないかなあ、とも思う。

お互いの心のスキマを埋めあってただけの、そんな恋。

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ビッケブランカ、マイブームでずっと聴いてる。
slave of love」はGoogleのCMに使われてる。

この恋がさいごだよ
もうしないから!

Slave of Love

Slave of Love

実家に帰ってきてからメキメキと調子がよくなってる

実家に帰ってきて4日経った。

まず東京から実家に帰るまでのこと。実家は、東京出るにはちょっと距離があって、でも出れなくもないような、ビミョーな距離感の立地。両親は、電車に乗れないなら家の車を出すと言ってくれたのだけど、ナビで調べると、両親が運転するにはしんどい道のりだったから断念した。

電車乗るのしんどいな……と思って、帰る日当日までは思い悩んで寝れなくなったりもした。一度味わったパニックの恐怖は、なかなか拭いきれないものなのか。厄介だなあ。

でも、電車は案外ちゃんと乗れた。地元まで一本で帰れる快速電車のグリーン車で帰ったから、それも大きな要因かもしれない。お母さんと喋ってたらあっという間に着いた。数時間電車とか死んじゃうって思ってたけど、楽勝すぎて拍子抜け。

家に着いてから、少しずつだけど食べれるようになったし、吐き気に襲われることも少なくなってきた。まだ一人で外に出るのは怖いけど、お母さんと一緒ならお店に入ることも出来る。家では、出来る範囲で家事を手伝いながら、東京の部屋を引き払うための準備を進めてるかんじ。

病院にも連れてってもらった。まずは胃腸を調べてもらうために消化器科へ。実家の近くに大学病院があって、そこに行ってきた。大学病院とだけあって、すごい人だしすごい待ち時間でびっくりしたけど、無事年内に胃カメラの予約が出来た。すごく嫌だけど。精神科はまだ行けてない。同じ病院内にあるから、そこでもいいかなと思ってる。

 

こうして落ち着きを取り戻しつつあるのだけど、この一連の体の不調はやっぱり、ストレスから来てたものだと高確率で思う。正社員を辞めて、派遣になって、順調だった仕事が不安定で、生活費も十分には稼げなくて…こんな状態じゃ、メンタルもグラグラするわな。子供のころから、ストレス耐性がひとつもないような人間だったしな。うん。もうしょーがない。お手上げ!みたいな気分だから、腹くくって次の道を探していくしかないんだな。

今年もいろいろあったなーって思う。休職してた会社辞めて、派遣で仕事やって、地元に戻るっていうね。想像もしてなかった未来だな!笑 来年もどーなることやら!

世界で一番手のかからない、世界で一番世話のやける子。

あれから、あれよあれよという間に体調は悪化して、外に出ることすらままならなくて、ちょっと人と会うだけでも呼吸が荒れる+吐き気がうねうねと自分の中を駆け巡る日々を過ごしていた。どんどん食べれなくなって、うどんの一口二口くらいで気分が悪くなったりしてた。

仕事はもちろんなくなった。退職。一週間ごとに行けそうか確認を入れられて、それがいいことなのかプレッシャーなのかももう考える余裕もなくて、数回行ったところで、次は退職ですねと宣告されて、そのまま体調もよくならなく、退職の運びとなりました。派遣社員ともなると、そりゃ休職とかもないわな。特に不満もないし、なんかもう仕事とかまじでどうでもいい…ってくらい、直近の仕事には負の感情しか持ち合わせてなかった。

 

ちょっと体調を悪くしているうちに、いろんなものを失って、もはやお金もないし仕事もない。大切な人も東京にはいない。あれれ?わたしなんでここにいるんだっけ??みたいな気分になってしまった。

それで親友に相談した。そしたら、弱音でもなんでもいいから帰ってきなよ!ってかえってきた。弱いところ突かれたな参ったなと思いながら、泣いてしまった。家近いといつでも話聴いてあげられるじゃんよ!って。どこにいても帰るべきは地元なのかな、とも思った。

 

そんでもって、いよいよ体調のことは隠しておけないってことで、家族にも連絡して状況を伝えた。そしたら後日、次の休みそっち行くから!と言われ家族3人が1Kの部屋に押しかけてきた。家でとれたみかんやら、近くのスーパーで大量に食べ物飲み物を持ってきてくれた。ありがたい。

でも、ご飯食べてたらやっぱり具合悪くなっちゃって、家族が来てる中でずっと吐き気と戦うことになって、トイレに篭って出られなくなった。そんなわたしを見かねて、救急病院に担ぎ込まれた。とはいえ、実際吐いてないし、食べて時間が経ったら楽になったから、着いた頃には急病人というより元気ない人になってて…お医者さんには、はあ?みたいな態度で出迎えられて、全然救急じゃないね!って言われてクスリだけ貰って帰ってきた。(申し訳ないのだけど、本人はろくに食べてないしフラフラで死にそうだったから怒らないでほしかった…)

そんなフラフラなわたしを見ちゃったら、お父さんもお母さんも心配しちゃって、しょうがない。お父さんは、絶対直接言わないけど、一刻も早く家に帰ってこいと躍起になってる。電車に乗れないなら車出すと言ってくれてる。お母さんは、また家に来てくれて、区役所の手続きについてきてくれた。区役所でもダウンしてしまったから、もし一人で行ってたらと思うとこわい。

 

結局、最後に頼れるのは家族なんだなあって、すごく実感した。わかってても、自分でどーにかなっちゃうことの方が多いからときどき忘れちゃうんだけどさ。というか、そういう選択ばっかり小さい頃からしてきたから、どう家族に救いを求めればいいかよくわかんないまま大人になっちゃったんだよね。ずっと、周りの大人に手のかからない子だねって言われて育ってきたけど、こんな頼りベタじゃ世話が焼けてしょーがないな…

今後は、直近病院行って検査したり区役所のまだ終わってない手続き済ませたりするんだけど、それ終わったらいったん実家に帰ると思う。生活を立て直して、体も治してから、自立した生活をまた送れるようにする。でも多分、東京には戻らないかも。