仕事ときどき女の子

仕事も女の子もがんばらなくなりましたが、豊かに生きてます。

解放と罪悪感が両腕を引っ張る今日このごろに

年末年始、帰省に対し神経をすり減らしているみんなへ。しんどいよね。なんだかよくわからない相反する気持ちが両腕を引っ張って、自分を引き裂くような気持ちがするよね。

私は今年も帰らない。妹から今年も帰らないの?とLINEが来たのを無視して、複雑な気持ちを胸に染み込ませながら、今年も帰らないよ。

なぜ数年も連絡なしで帰っていないのに、実家と連絡を取り合うこともないのに、私がどこに住んでいるかも教えていない両親との関係性なのに、帰るの?って聞けるのか。ここまで状況が飲み込めないのは、本当に毒だよなと思う。妹もまた毒に侵されているのだけど、本人は気付いてもいない。どんどん母親に似た言動をするから距離を起きたくなる。

両親に会わないだけでこんなにも自分のままでいられるのかと、実家に帰らなくなってから数年、身に沁みて実感している。その分、耐性がもうないから小言を言われただけで心が傷だらけになるだろうし、もし久しぶりに会っても年を重ねた両親を見てきっと心が罪悪感で押しつぶされるだろうと思う。距離を置かねば自分を保てないのに、距離を置くことで現れる負の感情も比例して大きくなる。このような、相反して引き裂くような毒が、毒親の最たる罪なのだと思う。

 

父親から、日記メールが一方的にキャリアのメールアドレスに送られてくる。数年無視しているのに、数ヶ月おきにわけのわからない文章が送られてくる。最近元気か、みたいに私のことを尋ねることもなく、ただ一方的に近状を小説のような文章で送ってくる。そういう人間なのだ。

スマホを変えてから、キャリアメールを自動受信出来なくなったことに気づきブラウザで確認したら、父親からメールが来ていた。手術をしたという旨と、写真が添付されていた。それを見て、ずっと恐れていた罪悪感が押し寄せてきた。同時に、こういうときにも母親は私に連絡をしないことにも複雑な思いを抱えた。言葉にしにくい、怒りの気持ちでもなく、悲しい気持ちでもない、恐怖に近いような、虚無のような、なんとも言えない気持ちだ。この人は、大好きな祖母が亡くなっても連絡しないのかもしれない。もうすでに葬儀まで終わっているかもしれない。それでも確認できないのは、現実を知るのが怖いからだ。とても。まるでシュレディンガーの猫だ。

一回り小さくなった父親の姿を見て、この気持ちをどう処理したらいいかわからず、ただひたすら一人の日常を送り続けている。誰に話すでもなく、夢に家族が出てきても深い意味を考えずにデスクに着席し仕事を始める。そうこうしていたら、もう月末最終週になってしまった。

私はこれからも、両親を許せないんだろうか。心許すことがあるんだろうか。すべてお前のせいだ、というような強い言葉を浴びせたいわけでもなく、だからといってもう傷つけられるのはごめんで、ひっそりと私の知らないところで勝手に幸せになってて欲しいし、私も幸せになって欲しい。ただそれだけなのに、心も状況も年々複雑になっていく。