仕事ときどき女の子

仕事も女の子もがんばらなくなりましたが、豊かに生きてます。

絶望と戦い、望みを再構築する

一個前に書いた記事を読んでいたんだけど、仕事をセーブしたいといいつつ、こういうのはコントロールきしれないもんで、ひどい忙しい時期もあったし別の仕事をしたりもしている。

さすがに、5件同時に案件が進行したときは頭がパニックになって、自分でなんの話してるのかわからなくなった。アシスタントちゃんに話をしてても訳わからなすぎて、えーっと…ごめんまじ今の話どの案件のことだっけ…みたいな情けない状態に陥ることもあった。そういう時期もたまにはあるよね〜って今は思えるけど、瞬間的には鬱々としてて、これが数ヶ月続こうもんなら慢性的なストレスを抱えそう、と震えた。

忙しい理由は他にもあって、ある資格を取ろうと人生で一番でかい買い物をした(言っておくが私の「人生で一番でかい買い物」なんて数十万の世界である。)。半年かけて養成講座に通うことにした。で、その課題が結構鬼で、案件5件の同時進行+養成講座の課題って具合だったから忙しい体感が増していたんだろう。

 

あとストレスを抱える理由は、年末が近づくにつれて無言の家族からのプレッシャーがある。カウンセリングを受けて吐き出したら楽にはなったが、家に帰ってこいの言葉、行かないといったときに傷つけられるのは私で、その恐怖はどれだけカウンセリングを受けてもなかなか0にはならない。

なんだかんだ、もう1年半会っていない。一度今年の夏頃、困っていたらお金をあげるからという母親からのメールを無視した。お金を受け取ったら余計に優越感を母親に植え付けられ、私は罪悪感で殺されることを仕組みとして理解しているからだ。父親からのメールも何十通と無視をしているが、この人は相手の気持ちを汲み取る能力がないから、お構いなしに日記を送りつけてくる。

そういう家族なのだ。何も変わらない、変わろうともしない、被害者である私が変わらなければこの遺伝子たちは何も学ばないのだ。私が子供を欲しいと1度も思ったことないのは、生まれたときからこの遺伝子を愛していないからなのかもしれない。

 

少しずつ人の心理システムが育っていく過程なんかを学問として学び始めると、よく歪みがわかる。こうやって学問として、あのとき教えてもらえなかったいろんなことを今更知識として学んでいる滑稽さに笑ってしまうときもある。それは「あのときちゃんと誰かが教えてくれていれば」という絶望との戦いでもあり、望みを自分で再構築する過程でもある。

人は理解出来ないくらい複雑で、どんなに頑張って踏み込んでも氷山の一角しか見えない。でも大丈夫だよって、私は私に言いたいし、誰かにも言いたいし、本当は家族にも言いたいんだと思う。

「私が」心を学ぶということは、自分のルーツである両親の家の歪みを見つけて供養するような意味も含んでいる。

 

次にこのブログを書くとき、どんなことが起こっているかなとふと思う。まあとりあえず生きていればどうにかなるかなぁ、くらいの気持ちで生きていこうと思う。