仕事ときどき女の子

仕事も女の子もがんばらなくなりましたが、豊かに生きてます。

社長になりたい

それなりに仕事が忙しくて、こんなご時世に嬉しいこっちゃと思いつつ、少しだけ詰めすぎた気もする。でも元気でやっている。ミーティングがオンラインにいくつかなるくらいで、それ以外は普通。むしろこんな感じで忙しい。それでもいくつか仕事がなくなったりした。生活に響くようなことではない。むしろ、忙しい中で更に忙しくならずに済んでホッとする一面もあったりする。

そろそろ会社でも作りたいな、と少しずつ思い始めている。だからといって、今この事業で会社を立ち上げるのもあまり現実的ではないとも思ったり、BtoC向けの事業をやりたいなとも思ったり、ブレブレの段階。一人で仕事を回すことに対して不安が大きすぎるから、誰かと連携プレーをしたいということと、事業開発の仕事を何年もやってきて、自分で好き勝手運営したいっていう気持ちも大きい。正社員に戻る気はさらさらないから、もう社長になって会社を切り盛りするしかないと思ってる。

社会を変えたいとかでかい思いは一切ない。ただ周りにいる人たちの居場所になるような、そんな状態が作れて私の近場の経済が回っていればそれで十分だと思う。

 

別の話。

今、認知行動療法を改めて受け直している。会食恐怖がちょっとばかしまた気になってきているからだ。

なぜ人とご飯を食べるのが苦手なのか、それを追っていくとやっぱり家庭環境の問題にぶち当たる。そう簡単には取り除けない家庭の問題。しんどい。この話はまたこんどゆっくりします。

 

何故か絶望先生を観はじめて止まらなくなっている。

 

 

呪縛を解く一年だった

今年は衝撃しか受けてこなかった気がするけど、結果的に私自体がひとまわり成長したというか、成長といってももっと魂レベルでの格上げというか、うまくいえないけどそんな実感がある。

今年仲良くなった友達たちともすごくいい関係で、しんどいときに話を聞いてくれて決して否定しないような人たち。大学のときから付き合いのある男友達たちからの友情も深く感じられた。なんだかほんわかるす思い出が多くて、過去を振り返ってあまりいい思い出が出てこない私にとっては、とてもいい流れだと思う。

 

このブログを始めたとき私は確か26歳とかで、精神崩壊へのカウントダウンといわんばかりにそれからはちゃめちゃなエピソードばっかりを書いてきた気がする。振り返ると、よく傷だらけになりながらも無事今まで生きてきたなと当時の私を抱きしめたい。

「仕事ときどき女の子」を書き始めたときは不健康に仕事にのめり込む女の子だった。でも今は、仕事もそこそこだし(でもね来年はもっとやりたいことがある)、それに女の子になることも…いや、あるかもしれないな。好きな人とまったく進捗がないんだけど進捗したら精神的に女の子にはなるかも。笑

 

多分、今が人生で一番穏やかに過ごせているのかもしれない。期待と絶望を同時に抱きながらでしか築けなかった人間関係が、どっちでもなくニュートラルに感じられる。ひとりでいても虚無感を感じなくなったし、話したくなったら自分から友達にアプローチ出来る。自分の中の相反する気持ちが徐々に小さくなって、人生の矛盾が解かれていく。

 

今年の年末年始は、人生で初めて一人で過ごす。家に帰らないと決めた。帰らない選択をすることでうちは非難轟々になるような環境なんだけど、テキトーに仕事だから云々と嘘をついた。

あと、母親のお姉さん(私のおばさん)にすべてを打ち明けた。親族で唯一まともな人だからだ。もう無理をするな、お母さんには言わないからうちに話をしにきな、と言ってくれた。話してよかった。

 

来年は、自分の再構築の年になるかな。マイナスから0になったのが今年、来年は自分で自分をもういっかい作り直すかな。呪いの言葉によって作られた価値観を全部ぶっ壊して自分の幸せを再定義しようって思う。

 

じゃ、みんなもよい2020年をね。

 

子供でいられなかった私へ

自営業になって1年ちょっと。大して稼働せずとも余裕のある収入を得られるほどに、それなりに、稼げている。まじで大人。

 

春からカウンセリングを定期的に受け続けていて、自分の置かれていた状況(うつや休職やパニックなどなど多数のラインナップ)の根本理由に迫る作業を重ねているが、総じて私には子供時代が皆無だった、というところがついてまわる。

人生最初の記憶からして、母親が私のわがままにキレて出ていくという思い出から始まる。そんな人生だ。お母さんはどんな人?とのカウンセラーからの問いに、「こわい」「話が通じない」としか言葉が出てこず、まったくスラスラと話せなかった。本来あなたは知識欲のある子供だったはずなのに話の出来ない母親と一心同体を求められていたのだからおかしくなって当然で何もあなたは悪くない、と言われて初めて得られた安心感といったらない。

子供の時の記憶を掘り返しても、自分が無理を重ねているとか、あのとき本当はこうしたかったとか、善意が裏切られたとか、そんなものしかカウンセラーに話すことがない。子供って「どうして?」を聞いたり嫌なことは嫌と言えるのが普通なんだけど、それすら許されてこなかったんだね、と。私にとっては我慢が普通だから、子供が素直に感情を爆発させているところを見ると、特に妹が出来てそれを身近に見ていると不思議だった。母親も、不思議そうに妹と対峙しながら毎日イライラしていた。妹が出来るまでは呪詛のように「一人っ子はわがまま」と言われてきたし、妹が出来てからはいいお姉さんでいなければわがままの烙印を押されてしまうと怯えていた。

 

肉体は子供なのに精神を子供でいさせてくれなかった環境に、虚無感を感じる。ずっと大人を演じてきて、肉体も大人になったけれど、大人は演じてきたものだから中身はずっと子供なのかもしれない。3歳から成長を止められて、でも大人の役を演じてきた。しかも、それは父親の代役とか、お姉さんとしての役とか、まともに話の通じない母親をなだめながら家族の安泰を支える重役を背負ってきた。今なら馬鹿らしいとわかる。でも、子供の私にとっては生きるか死ぬかのサバイバルだ。他の世界を知らないし遮断されてきたのだから「やる」以外の選択肢なんかなかった。

 

家から出るときの広場恐怖の緊張感にしても、嘔吐恐怖にしても、原体験は子供の時の抑圧された環境にある。神経を使いながら仕事にも支障が出そうになる恐怖を抱えながら、これらと戦っている。

本当にクソ。全部を恨みたくなる。でも、もう私は私を嫌いになりたくないし自分が敵になってしまったら、味方はいなくなるし生きていけない。母親は無意識に私を恨んでいたんだろう。でなければ、こんな悲惨なことにはなってない。情緒的ネグレクトであろう。肉体に刻まれないから誰にもわからないが、情緒は傷だらけだった。自分も知らないところで、だ。どうしようもなく救われない物語すぎないか。

今からでも、子供時代をやり直すしかない。もっと堕落的に、もっと自分にために金を使って、ダメな自分を受け入れ、植え付けられたルールから解放し、自分を愛してあげよう。誰かにもらう愛ではなく、自分が自分に愛を与えていこう。今の人生の課題は、自分を慈しむことだ。

 

中二病化しているからヘルシング観てる。

 

心の隙間

わかりやすいレッテルが貼られてないだけでヤバい人っていうのが身近にいるんだなと感じてて。

自分の人生を無意識に人のせいにしてるんだよな。嫌なら近づかなきゃいい、とはならずに人を責める。というかもう、責めずにはいられない、という言葉の方が近い。自分にとって都合の悪いことがあれば感情をぶつける。泣けば許してくれる、怒れば従ってくれる、みたいに思ってる。子供と同じ思考回路で動いていることに当の本人はもちろん気づいていない。それに、正義の仮面を被って無意識でやってるからやっかい極まりない。

ただそういう人を惹きつける自分という存在も考えものだ。カモにならないとわかれば寄ってこないわけだけど、優しかったり共感能力が高い人には寄ってきてしまう。 ヤバい人に歩み寄られるのは、良くも悪くも相応の理由がある。みんなに優しいの裏側には、みんなに嫌われたくない自分が傷つきたくないという言葉が隠れていたりする。そういう心の隙間にヤバい人はつけ込んでくる。

ただね、ヤバい人になるもならないも、その一線はとても細くて薄い線で区切ってあるだけだとも思ってて。

私はね、自分だけはああならないって胸張って言えないよ。冷静でなくなったとき、根っこにある満たされない気持ちが爆発したら簡単に向こう側に行ってしまうと思う。というか、行っていた時期もある。だからさ、ヤバい人が友達や私に干渉してきたときは本当に許せないし腹ただしいんだけど、心のどこかで責めきれなくてやりきれない。

心の隙間を埋めるのは、目の前の責め立てたいほど嫌いな人でもなく、喪黒福造でもなく、自分しかいないんだって、常にこの言葉を携えておきたい。

笑ゥせぇるすまん (1) (中公文庫―コミック版)

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安心できる場所を求めて

生きてる。なんとか生きてる。仕事のない時期を過ごしていたけど今はそこそこある。断ることもあるくらい急に舞い込んできた。様々なご縁は、意識してコントロール出来るものではないなと痛感する。いいときはいいし、悪いときは悪いのだ。それ以外何者でもない。

両親とのことは葛藤もありつつもう諦めている。関わらない生き方をして、のらりくらりとかわしていくしかない。ただそれだけしか自分の人生を生きる方法がない。前の記事から何度もカウンセリングを受けて、両親を責めたい気持ちと自分の無力さにケリをつけてきた。未来は自分が作っていくしかないし、他人を変えることは出来ないし、いかに自分を守っていくかを考えなければいけないし、残念ながら真っ当に生きていくには家族は攻撃を与えるものとして認識しなければ私が私じゃなくなる。

今後付き合っていくべき人はもう見誤ることはないだろうと少しの自信がついているが、いざ目の前に人が現れたときにはまた自信がなくなるだろう。

少しだけ気になる人がいる。滅多に会えないしアプローチできるほどの勇気もなく臆病になり、ただまた会えないだろうかと願うだけだ。

時々ひとりがたまらなくさみしくなったり、ひとりが楽すぎてずっとこうしてたいと思うときもある。

よく前の前の元カレが夢に出てきて、仲良く一緒に暮らしている。家族からもらえなかった安心感を求めているんじゃないかと感じる。心から安心できる場所が欲しい。だから傷つかないためにひとりでいたいのかもしれないし、誰かを欲してしまうのかもしれない。そう気付いてから、そんな弱い自分を受け入れなければならないなとも思う。

子供の頃の私が泣いている。救ってあげなきゃな。

大人になってもコントロールマザーの束縛と戦うのか

元カレのことは思い出すけれど、もう顔すらボヤけ輪郭が薄れている。

 

今の一大事は、元カレとの別れをトリガーにして、子供の頃の家庭環境の悪さと向き合うことになったことだ。過去の様々な失敗や自分への嫌悪感はすべて、子供の頃の親との関係のうまくいってなさに紐づく。

元カレとの関係を振り返る度、母親と同じことをしていたなという結論にたどり着く。何度も認めたくないと思った。自分の選んだ人が母親と同じことをしてきたと。でも、どこをどう切り取っても事実は変えられなかった。私にとってはそれがどれだけひどい結末だったか。もう1人で抱え込むのも無理だと思って、オンラインカウンセリングに頼ることにした。

話せば話すほど、元カレは母親と同じで、機嫌で支配し、気に入らないからとひどいことを言ったり強い口調で責めたり自由であるべき気持ちを押さえつけていた。そして私から元カレへの身の振り方が子供の頃と同じと気付き、おぞましく思った。解説されてやっと理解する。ただ、理解したからといって受け入れられるかというと別問題だった。自分への気持ち悪さとふがいなさと、母親への憎しみ、父親への憎しみで溢れる。今は、受け入れることを少しずつやっていく時期なんだろう。

ずっと蓋をしていた気持ちを引きずり出して目の前に並べる。とても醜い。認められない。そういう状態が今だ。

 

少しだけ自分の育ってきた環境の話をする。

  • 母親はコントロールマザーだった
  • 自分の機嫌次第で溺愛し過干渉し人格否定するような行動を取る人
  • 父親は子育てに口出しをしない人

母親は自分の価値観を押し付け、自分の好き嫌いを私に叩き込み、それにそぐわない行動をすると不機嫌によって支配する。そういう日常の中で育った私は、常にいい子で人の機嫌を伺い判断軸を母に乗っ取られた。家でも学校でも神経を尖らせていないと不安だった。もちろん当時はそれが普通だと思っていた。

父親は外で稼ぎ知的で母親は家事も育児もきっちりこなし長女はいい子で反抗期もなく次女は無邪気で、幸せな家庭だと思われていただろう。大人は誰一人として私の不安感に気づくこともなかった。

この問題は子供の期間が終わっても消滅することなく、大人になって抵抗し続けた私に対してもまだ常につきまとっている。

 

「毒になる親」という本がものすごく気づきが多く、泣きながら読んでいる。カウンセリングのときに言われた言葉でもあり、すごく心が救われた。大きい気付きはこの2つだった。

  • 子供の頃は判断出来なくて当然で、そのとき感じていた罪悪感に対して責任を負う必要はない

母親の機嫌が悪いのは私のせいだ、と子供の頃は常に罪悪感と戦ってきた。私がいい子にしていれば家庭は円満だし、妹に負の感情がぶつかることもない、と本気で思ってた。それをカウンセラーの先生に話たら、「お母さんの感情はお母さんのもので、あなたに責任は一切ない。子供のあなたの心は自由である権利があったはずなのにだ。自分の感情を処理しきれないお母さんが悪い。」と言われた。そうか。そうか。やっと子供の頃の悲しみや恐怖をやさしく包み込む言葉をかけられたんだ、と思ってとても安心した。

  • 反抗して親の言いなりにならないという行動自体も親に取り憑かれていることに変わりはない

母親の行動すべてが嫌になり家を飛び出し、専業主婦の彼女と真逆に手に職をつけ仕事に打ち込んできた。でもだ。その行動自体も母親に取り憑かれて行ったことだった。好きなことを仕事にするということと、仕事に打ち込むことと、どこまでが自分の意思なのかという線引が出来ず、今は苦しい。嫌で嫌で逃げ出してきたのに、結局は母親に取り憑かれていたなんて、そんなにすんなり認められるものではない。

 

カウンセリングを重ねると、子供の頃の話をするたびにおかしな思考に気付く。母親をかばうような言葉ばかり出てくる。自分の気持ちより母親の気持ちを尊重する。こうして客観的に見れば変なことに気付くのだけど、頭の中を支配していたのは、ずっと歪んだものだったんだという気づきがとても多い。

これは長期的な自分との戦いになりそう。私には、大人の自分を救ってあげる義務があるんだと思う。強く生きよう。

 

親との関係に悩んでいる方、本当に本当にオススメしたい本です。 

毒になる親 一生苦しむ子供 (講談社+α文庫)

毒になる親 一生苦しむ子供 (講談社+α文庫)

 

 

自分への傷をつけるのは私自身

 

ninatanpe.hatenablog.com

 

あれから1週間経った。

正直つらかった。寝れない食べれないでまともな思考に導けるわけでもない。あっちがひどい別れ方をして、ひどいやつだったと、かさぶたができずにまた化膿するような、そんな状態がずっと続いていた。

話をしようとLINEで伝えた。戻りたいわけでなくて、お互いの本当の気持ちを知って、これからのことを考える材料にしたかったからだ。でも伝わらずに信頼関係はもうないから前を向いてほしい、と言われた。また自分に生傷を作った。

 

朝は特にひどい。夜は家にいないようにしてコワーキングスペースで仕事をして仲間としゃべって気を紛らわしたりした。だから疲れ果ててすぐに寝れたけど、2時間おきに起きてはちょっと泣いて、気晴らしにYouTubeで猫動画を見て、気絶するように寝て、また2時間後に起きて…という状態だった。そんな毎日じゃ、朝まともな状態ではいられない。起きるとまず朝のあたたかさが去年の今頃を思い出させてつらくなった。ちょうど今頃、付き合ったからだ。今こうして文字にしていてもつらい。

付き合っていたときに感じていた違和感も好きだった思い出も、今となっては過去だということはわかってる。その過去に続く未来はないと知っているし、未来を見たいと思っているわけでもない。でも過去は美しい。どうあがいてもその事実は変わらない。事実は変わらないし私も変わらないから、ずっと過去は美しくてつらくなるんだ。

 

今日朝から取り乱してこんなYouTubeを観た。


恋愛で傷つくのが怖いあなたへ

「自分を傷つけるのは自分自身」ということを言っていた。その通りなのかもしれない。起きたことに対して、どう感じるかは私次第なのだ。元彼の行いは確かにひどかった。でも2人で歩んできた関係は2人のせいだ。少しずつ受け入れよう。彼の行いを許し、私が行ったことも許していこう。傷も少しずつ減らしていこう。そう思った。

 

結局、振り返るとたしかに好きだった時期もあるかもしれないけど、いつの間にか元彼の時々見せる感情的な部分におびえて、逃げ出せなくなっていた。元彼への不満と1人になることの不安を天秤にかけて、不満を選んできた。そうやって、自分を小さく傷つけてきたんだと思う。

元彼はモラハラをしてきた、と何度も何度もネットの記事を読んで納得しようとした。でもそう思いたいだけだったのかもしれない。真偽不明なことを確定して自分に非がないことを思いたかったのかもしれない。それは、自分が1人になることの不安を不満にすり替えて、自分を傷つけていたのかもしれない。

 

それに気づいて、少しだけ前を向けたような気がする。元彼に伝えたいこと、聞きたいことはたくさんあるけど、これ以上話をすることは不可能だろう。私が私を救ってあげよう。今すぐは変われないけど、一歩ずつ前に進んで、いつの間にか大丈夫になっているはずた。

失恋はつらいんだな。ちゃんとつらい経験をしておくことが、今後のためになると数年前にも思っていた。その時期が今ここにあるだけ。そう思って乗り越えていこう。