仕事ときどき女の子

仕事も女の子もがんばらなくなりましたが、豊かに生きてます。

自分を知る旅へ

結論から言うとしばらく仕事量を半分にして、しばらくがんばらないことにした。

 

私はこの投稿をした時期から結構考えていた。 

自分の体に慢性的な不調があって検査にいったらいつもどおりストレスですねで診察終了したことや、取引先のクソみたいな人間とのコミュニケーションや、過去を振り返って思ったことや、それらが一気に波のようにザッパーンと私を飲み込んで溺れていく。

クソゲーな人生だと自覚し生きていく - 仕事ときどき女の子

トリガーになったのはやはり体の不調で、最初は深刻な病気ではないかという面持ちで医者に事前に共有されていたにもかかわらず、検査数値的には全然そんなことはなく結局ストレスですねで結論付けられた。

またかよって感じだ。っていうかいつも通りって感じか。でも、そういうの、もうやめたい。大きなストレスを抱えながら生きていくの、もう疲れた。そう思った。性に合わない人や仕事内容によってすぐにぺしゃんこに潰れていくの、普通のことにしたくないって、自分の中で自分が反乱を起こしていった。

その気持ちにブレーキをかけていた売上のことも、例の補助金とこれまでの売上金のプールで直近はどうにかなるだろうし、申請していた別の補助金は採択されなかったから無理に事業拡大に向けて動かなくてもよくなったし、もういいやぁとあっさり思った。で、あまり自分の戦う場所ではないと思っていた仕事をいくつか終わりにした。

 

でもどうにかしたい反面で、どうにもできない「何か」は絶対に存在しているとも思っている。

前の記事を書いて今日に至るまでに過去を知る人からいろんなことを言われた。ある人には、根本の問題を解決出来ていないのに新しいことに挑戦してもまたぺしゃんこになるよ、とか、逃げても嫌な人は寄ってくるよ、とか、その傷を抱えながら生きていくのはトラウマがいつも呼び起こされてつらいでしょう、とか。

いやほんとそのとおりなんだけど、だけどさ、正直、根本の問題である過去につけられた心の傷やトラウマは後遺症みたいなもんで、一生なかったことにはならないんじゃないかと思う。立ち向かって、なんとしても傷跡を0にするんだって気持ちでいて、出来ればそうしたいんだけど、そういう気持ちに執着してどうにかしたいんだっていう気持ちが怨念のようにずっと私のそばにいたら、何も変われないような気もしている。

生きにくくなったら逃げて、誰かに迷惑かけながら生きて、それでいいんじゃないかとも思える。私の抱えているものはチャラに出来ないと認めて受け入れた上で生きていった方が、実は抱えなくていいものが増えるのかもしれない、って思う。

これが正しい判断なのかはわからない。仕事量を半分にして出来た時間は、それを知る旅の時間でもある。

 

1年前自分のパンドラの箱を開けてすごくしんどかった。今もまだまだ開けた影響は出ている。でも生きるつらさを抱えるに至った理由を知ったことでひらけた世界は多い。開けなきゃよかったとは1mmも思っていない。

私はいつか、同じような境遇の人に気づきを与える何かを生み出したいと思っている。それがどんな手段で行えるかはまったくノープランなんだけど、これから見つけていくために心理学の勉強をガチめにしようかなとも思ってる。ちゃんとできるかはまじでわからないが、今のところそんなかんじ。

生きていくルール的なものとして、何かを手放したらちゃんと別の縁が舞い込んでくると思ってて、今ちょうど手放したから別の何かとは出会える気はしている。

そんなかんじ。

 

ちなみに、家族とは1年会っていない。お盆と正月は必ず帰ってこいという半ば反抗できないしきたりのようなものがあるのだが、正月は仕事を理由に帰らず、その後メールを一度無視したらお盆前に必ず言われる帰ってきなさいの脅迫電話・メールが来なかった。

母親は、私を嫌いになる正当な理由がほしいんだと思う。「母親として頑張っている人を裏切る娘」でいることは、母親の唯一の存在価値を傷つけない上に私を母親の理不尽から守る最適な方法だ。(ヘルシーとは言えないが)

家族と会わない時間は清々しいし私が傷つかなくて済む、というのが正直な本音で、いつか向き合わなきゃいけないときに向き合えるんだろうかっていう心配はあるけれど、とりあえず今はこれが私の平穏な生活につながっている。